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第1章 19世紀の国芳~国芳の仕事、10のポイント
1.凄みー新しい美の価値 ・通俗水滸伝 豪傑百八人之一個 《両頭蛇解珍》再見。猟師の解珍は、激しい雨の中、竹林を背に、綱で敵将を締め上げて生け捕りにした。虎退治に関するトラブルから死刑になったが、脱獄して梁山泊の仲間になった人物である。 ・四代目 中村歌右衛門 《江戸名所見立十二ヶ月の内 六月 山王御祭礼 団九郎兵衛》際立った風貌・風格・格好好さが揃った歌右衛門が扮するのは夏祭浪花鑑」の団七九郎兵衛。団七九郎兵衛は大坂の夏祭りの夜、わけあって舅を殺してしまう。そして、祇園囃子の響くなか、神輿の人混みに紛れて去っていく。 ・四代目 尾上梅幸 《今様七小町 関てら》 ・二代目 市川九蔵 《あㇵしま 市川九蔵》 ・初代 坂東しうか 《初代坂東しうかの橋本屋白糸》 ・初代 沢村訥升 《遇躬八芸 矢立平》 ・十二代目 市村羽左衛門 《今様七小町 かよひ》羽左衛門の麗しい立ち姿。小野小町にまつわる七つの話に重ねたシリーズの一枚「通小町》では、小町に恋した深草中将が百夜通いをして命をおとしてしまう悲劇なのだが、ここでは「通い」に引っ掛け、楽しそうに駕籠にもたれかかる姿を描いている。 ・二代目 尾上菊次郎 《流行猫の戯 袂糞気罵責段》 ・初代 岩井紫若 《見立俳優八剣士 犬阪毛野 岩井紫若》 ・朧月猫の草紙 山東京山著・歌川国芳画「朧月夜の草紙」初編(2)部分↓。鰹節問屋・又たび屋右衛門の飼猫「こま」が五匹の子猫を産んだ。「こま」と恋仲である隣家の飼猫「とら」が訪ねてきた。「こま」は「とら」に対して、五匹のうち膝に乗ってきた三匹は「とら」の子で、残り二匹は別な雄猫の子であるという。 ・続・垂涎の光景 《猫の百面相》同名の作品がほかにも3点ほどあるということだが、この展覧会に出てきたのは「仮名手本忠臣蔵 七段目」を猫の役者七疋が演じているという代物。 《魚の心》再見。一目で役者と察しは付くが、特定は難しいものが多い。確実と思われるものは「鯛=四代目中村歌右衛門」と「鰈=初代紫若」。「河豚=二代目尾上多見蔵」や「蛸=嵐猪三郎」は説にすぎない。 ・水の町 《東都御厩川岸之図》再見。ひたすら垂直に降り続ける雨が地面を打ち付けはじり返されている。左の傘には三人が入っている。傘も差さずに頬カムリして歩く男が持っているのは鰻を獲る道具。 ・海と暮らし 《東都名所 てつぽふづ》再見。隅田川の河口に近い鉄砲洲の岩に腰掛けて磯釣りを楽しむ三人が描かれている。 ・月も木立も虹も夏雲も、江戸の風景 《東都名所 かすみが関》再見。大名屋敷が並んでいた霞が関を描いたこの画では、夏雲や日傘などによって、「夏の情緒」が描き切られている。 ・意外な題材と構図 《東都三ツ股の図》再見。船大工たちが防腐のために、船腹を焼いている光景である。墨田川本流と箱崎川に分かれたところを「三つ股」と呼んだ。右の大きな橋が中州と墨田川東岸に架かる永代橋で、箱崎川はそれより右、画面外である。余計なことだが、対岸左寄りに「スカイツリー」に似た塔とその左に別な建築物が描かれている。低いほうは「火の見櫓」で、高いほうは「井戸掘り櫓」らしい。 ・さらなるアングルの追求 東都富士見三十六景 《東都富士見百景 新大はし橋下の眺望》隅田川の新大橋の巨大な橋脚の間を通る舟には、荷が積載され、漕ぎ手は右手で舵を、左手で竿を操りなが進路を見きわめている。はるか彼方に富士山が描かれている。 4.子供のかわいらしさ ・子供を慈しむ 《子供遊五節供之うち 七月》五節句とは、人日(七草粥)・上巳(桃)・端午・七夕・重陽(菊)で、七月は七夕である。小さい男の子は、姉さんが上の方に短冊を付けやすくするために、竹を曲げている。 ・かわいらしくて、役に立つ 《子供諸礼躾方 屏風の建てよう、障子明たてしやう》屏風の開け閉てや障子の開け閉めの図解で、行儀作法が分かる。 ・集まって別のものになる 《みかけㇵこㇵゐがとんだいゝ人だ》再見。モデルは鎌倉時代の武将・朝比奈三郎義秀。伝説の力持ちで、小人島など不思議な島々を巡る旅でも有名である。着物の三つ引両の紋と伏せた頭の髷に付いている白い力紙で朝比奈と判る。頭髪の部分の黒い人や黒珊瑚なども島巡りに登場する。 ・一番面白いのは人間? 《百色面相》人の顔の動きを描いたもの。上段(右)から、くしゃみ、お灸、蚤取り、欠伸;下段は熱湯、辛子舐め、酔っ払い、踏んづけ。別版の上段は、糠遣い、つんぼ、頭ぶち、下段は井戸覗き、遠眼鏡、臆病、近目。 ・ばかばかしい 《木曾海道六十九次之内 守山 達磨大師》再見。中山道の滋賀県・守山の縮。達磨が蕎麦屋に上がって、ひたすら「もり蕎麦」を食べている。達磨の座禅「面壁九年」と積み上げた「麺へぎ盆」をこじつけている。 6.歴史の物語 ・牛若丸と鬼若丸 義経と弁慶 《和漢準源氏 花の宴 釈那王》牛若丸が鞍馬山に預けられ、稚児名を遮那王といった時代を描いた作品。戦う相手は鴉天狗である。五本の線からなる題枠は、源氏香の模様で「花宴」の帖を表している。 ・源頼光 《大江山酒呑童子》大江山の鬼退治物語。中央に巨大な酒呑童子、時計周りに源頼光、坂田公時、碓氷貞光、卜部季武、平井保昌が描かれている。 ・俵藤太(藤原秀郷) 《竜宮城 田原藤太秀郷と三種の土産を贈》藤原秀郷は平将門を討ったことで知られた武将。百足退治のお礼に竜宮に招かれた藤太は宝物を贈られた。竜宮からの帰途が描かれているが、贈物としては太刀・弓・巻絹・俵・鐘が描かれているが、海亀に乗った藤太に伴泳する蛸・鯛・海老・烏賊・河豚・鮪などの龍王に仕える海のキャラが目立っている。波の向こうに竜宮城が描かれている。 ・朝比奈義秀 《朝比奈義秀小人遊》(↓右)顔には歌舞伎で朝比奈を演じる時の赤い隈取が描かれている。鬢には白い力紙。朝比奈の頭上では木槌を振り上げて髷を整えている。耳から下げた吊り篭に乗るのはもみ上げの剪定を行っている。臍を覗いている男もいる。右足に掛けた梯子からは、筒を持ち上げている。右中指の先には、曲芸の小人。地上には、台車を引く人々が描かれている。 ・軽業師、早竹虎吉 《江戸ノ花木葉渡 早竹虎吉》斜めに張られあ一本の妻にくくり付けられた一本の棒。虎吉はこの不安定な棒に芦の甲を掛けて逆さまにぶら下がり、左右の手で子役を掴んでいる。素晴らしい芸を桜の花が彩り、空や空中の空色や水色も爽やかである。 虎吉は京都で鍛錬を積み、天保年間に上方で軽業師として活躍し、安政年間に江戸に出て軽業興行を行った。慶応年間には渡米してサンフランシスコで興行し、ニューヨークで病没したというから国際派の軽業師だった。 ・生人形 《当盛見立人形之内 粂の仙人》幕末安政年間の「生人形」の生みの親は松本喜三郎。熊本生まれの喜三郎は、安政年間に、大坂さらに江戸に出て興行した。粂の仙人は空を飛べたが、ある時、若い女性のあしに見とれて神通力を失い墜落した。この画では、墜落する仙人と驚く女性のいずれもが人形のポーズで、時間が止まったように描かれている。 8.きわどい活動 ・《駒くらべ盤上太棊》 ・《墨戦之図》大勢の人が二手に分かれて、墨を掛け合ったり、擦りつけ合ったりしている。登場人物の多くは公家だが、僧や稚児もいる。この画の解釈としては、①武士が弱体化して公家や僧侶が意のままに事をこしていることへの批判、②天保の改革の老中・水野忠邦・先の将軍家斉の側室・お美代の方、その父の僧・日啓を指していることの腐肉というものがある。 ・《源頼光公館土蜘作妖怪図》再見。右端で眠るのが源頼光。その背後に土蜘蛛が見える。頼光四天王も描かれている。この画は単に頼光の土蜘蛛退治を描いたのではないという説がある。頼光=将軍家慶、四天王の一人・卜部季武=水野忠邦、他の四天王=役人たち、妖怪たち=夢に出てきた天保の改革の被害者たち・・・とするのである。 ・大名行列の謎 《朝比奈小人島遊》江戸城に登城する際に迂回せざるをえなかった六郷兵庫頭が、老中に浅草寺の見世物小屋は大きくて、万一、城内で火災が発生した際に、お城がが見えず、危険であると申し出た。これが聞き届けられ、寺社奉行に「朝比奈大細工の小屋」の撤去が申し付けられた。国芳はこの事件を揶揄しているのだという。 この作品は、発売3日目に奉行所から発売禁止とされたが、国芳は処罰を免れた。中央の「竹齋の娘」=「大奥の老女・綾小路」、「近視の男」=「先が読めない老中・阿部正弘」という説もある。 ・《浮世又平名画奇特》部分↓。近松門左衛門の「傾城反魂香」に取材した作品。大津絵を描いて暮らす浮世又平は土佐将監光信の弟子。将監に土佐の苗字を名乗ることを拒まれた又平が、今生の思い出に庭の手水鉢に自画像を描くと、反対側にも絵が現れた。これを知った将監は又平に苗字を許した。又平は師のかっての主君の娘「銀杏の前」も救出を頼まれ、が救出した「銀杏の前」を自宅に匿ったが、追手が来た。すると又平は描いた大津絵の人物。動物・神様が絵から抜け出して守ってくれたのである。この作品の解釈には様々なものがあるが、判じ物であるとして発禁になり、筆者版元[は過料を申しつけられ、国芳は身辺調査を受けた。 ・大袈裟なポーズ 《誠忠義士肖像 中村勘助正辰》再見。飛んできた火鉢を除ける瞬間が描かれている。 ・討入の静けさ 《忠臣蔵十一段目夜討之図》再見。ニューホフの「東西海陸紀行」の図をもとに描いている。 ・大袈裟なポーズ、ゆったりした気分 《二十四孝童子鑑 大舜》再見。大舜は父母と弟から良く思われておらず、殺されかけたが、この三人を恨むことなく孝行し、思いやった。大舜が耕作していると、象と鳥が来て、地を耕し、雑草を取ってくれた。この大舜の徳を知った皇帝・業が位を大舜に譲った。後ろ向きの像はニューホフの「東西海陸紀行」の図を転用している。 ・異色を取り入れる 《近江の国の勇婦於兼》再見。近江のお兼は暴れ馬の口取り縄を足駄で踏みつけて制止した怪力の女性。作品は色彩豊かで、随所に西洋画のような陰影が施されている。馬の描写は、輸入された「イソップ物語」の本の挿絵を参照している。 ・こってり、かつ不思議な描写 唐土廿四孝 《唐土廿四孝 呉猛》子供はニューホフの「東西海陸紀行」にあるエンゼルの絵を使っている。「唐土廿四孝」は、中国の二十四考の話が一つずつ描かれ、柳下亭種員による物語の説明が付けられている。呉猛は8歳であったが、家は貧しく、蚊帳を買う金もなかった。呉猛は考えて、自分の着物を親に着せ、自分は裸になって蚊に刺された。それを毎日続けると、蚊も呉猛だけを刺し、親を刺すことはなくなったと言う。 9.人気者、国芳 ・後姿の人物 《浮世よしづ久志》部分↓。大きな「芳」の字は大勢の人たちで、「人の身の 吉あしばなし よしにして なんでもかでも づっとよしよし」と書かれている。 右図には、「出来がよし」「口あたりよし」「何時でも良し」「程がよし」「ひょばん芳」「思いつきよし」「天気がよし」「機転がよし」「ちょうどよし」「万よし」「肝がよし」「どちらもよし」「うけがよし」「夢でもよし」「機嫌がよし」「中がよし」「元気がよし」「ずっちよし」「気立てがよし」「「世辞がよし」「手筋がよし」、左図には、「縁起がよし」「慎みがよし」「辛抱がよし」「後生がよし」「何でもよし」「器量よし」「工面がよし」「もうよし」「按配よし」「勘はよし」「風なみよし」「末がよし」「心がけよし」「いつ見てもよし」「蔵入りはよし」「仕合がよし」「運がよし」の人間が描かれている・ この楽しい光景の右上に《芳桐印》妙の着物を着て、右肩に猫を乗せている男は、画によって人々を幸せにしてくれる画家「くによし」なのである。 ・楽しみをくれた人 落合芳幾《歌川国芳死絵》部分(↓)。国芳が亡くなったのは、文久元年(1861)。生前「顔を見せずに顔の見える』画家だった国芳の素顔は、彼の逝去を伝える「死絵」で見ることができる。国芳は硯を前に坐り、紙と筆を手にしている。羽織の紋は「芳桐印」。 「一勇斎国芳 俗姓井草孫三郎 号朝桜楼 法号深修院法山国芳信士 文久元酉年三月五日没 寿六十五 浅草八軒寺町大仙寺葬」と書かれており、「楼号も 手向くによし 朝さくら 有人」「すり合す 袖にも霜の 別れかな 魯文」「摘めためた 袖にしほるる 土筆かな 玄魚」の句が認められている。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-05-04 11:36
| 浮世絵
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