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昨日、国立西洋美術館でシャセリオー展を見てきました。
実際に、自分のホームページやブログを検索してみると、ヒットしたのは下記の3件だけだった。 ・シャセリオー《ローマ帝国アウグスットゥスとその奴隷》ルーアン美術館展 @三越美術館 1993年 ・シャセリオー《モロッコの踊子たち:薄布の踊り》、《バルコニーにいるアルジュのユダヤ女性たち》ルーヴル美術館展ー地中海四千年 @東京都美術館 2013年 Wikipediaでシャセリオーについて調べてみた。 【概要】 テオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau, 1819年9月20日 - 1856年10月8日 37歳没)。 シャセリオーは初めアングル門下だったが、ロマン主義の潮流の中で新古典主義を離れ、独特のメランコリックな情熱と抒情を湛えた作品世界を作りあげた。シャセリオーはオリエンタリスムの画家にも数えられている。 カリブ海の旧スペイン植民地に生まれ、父親不在だったシャセリオー自身が内面に異邦的なものを抱えていて、そのことが彼の作品の底辺に「エキゾティスム」を潜ませたといえる。 【アングルとの関係】 1830年、11歳の時、シャセリオーはアングルのアトリエに入ることを認められた。アングルは人々「見たまえ、紳士諸君。この子はきっと絵のナポレオンになるよ」と云ったとのことである。 1834年、アングルがローマのフランス・アカデミー院長を務めるためパリを離れた後、シャセリオーは、アングルがひどく嫌っていたドラクロワのロマン主義に傾いた。 1840年、シャセリオーがローマに旅行した際に、アングルと再会し、師弟関係が解消された。 【有名油彩画】 ・シャセリオー《海から上がるヴィーナス》1838年 ・シャセリオー《スザンナと長老たち》1839年 ・シャセリオー《海から上がるヴィーナス》1839年 ・シャセリオー《アクテオンに驚くディアナ》1840年 ・シャセリオー《ネレイスに岩に鎖で縛られるアンドロメダ》1840年 ・シャセリオー《エステルの化粧》1841年 ・シャセリオー《二人姉妹》1843年 ・シャセリオー《バルコニーのユダヤ人女性》1949年 【シャセリオーの影響を受けた画家】 ・ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ ・ギュスターヴ・モロー ・ポール・ゴーギャン 【展示作品紹介】 I アングルのアトリエからイタリア旅行まで 師アングルが1834年にフランス・アカデミー院長としてローマへ旅立った後、シャセリオーは、ゴーティエやネルヴァルらボヘミアン芸術家たちと交流しつつ、新たな芸術表現を探求したロマン主義の動きを吸収していった。ここでは、1836年のサロンに初入選した時期からイタリアの文化・芸術や自然に触れる機会となるとともに師との決裂をもたらした1840-1841年のイタリア旅行までの作品が展示されている。 ・シャセリオー《自画像》1835年 ルーヴル美術館 アングルがローマへ旅立ち、パリに残された16歳のシャセリオーが手がけた自画像。すでに師の端正な様式を想起させる成熟した画風の一方で、顔の右半分を覆う深い陰影がロマン主義的な内なる情熱をにじませている。エキゾチックな顔立ちに複雑な思いがあったともいわれるシャセリオーは自画像も写真もほとんど残していないため貴重な1枚である。・シャセリオー《16世紀スペイン女性の肖像の模写》1835-40年頃 シャセリオー修業中の作品でアングルの好み。一生シャセリオーの手元に置いておくことを約束させたとのこと。恋人オジーにせがまれて渡してしまうが、この絵のことで喧嘩となり、シャセリオーのの許に戻った。・シャセリオー《岩に座るナポリの若い漁師》1840年 黒鉛、水彩 ルーヴル美術館素描版画部門 ・シャセリオー《アクタイオンに驚くディアナ》1840年 個人コレクション ディアナはローマ神話の狩の女神で月の女神、ギリシャ神話のアルテミス。水浴中のディアナの姿を見た漁師アクタイオンは鹿の姿に変えられて、猟犬たちに噛み殺される。頭に三日月を付けたディアナは背中を見せ、ニンフたちは驚き、鹿の姿になったアクタイオンは遠くで犬に襲われている。・シャセリオー《木々に囲まれた中世の装いの恋人たち》1841年 ルーヴル美術館素描版画部門 《キリストの誘惑》(未制作)を構想していたローマのアングルがシャセリオーに描かせた油彩習作と、アングルの細かい指示が入った素描。シャセリオーはここで、ジェリコーのモデルでもあった黒人モデルのジョゼフの体を力強く描き出しつつ、背景の鮮やかな青空や落下を目立たせる岩、そしてモデルの個性と怒りの表情を強調した頭部といった独自の表現を付け加えて、単なる習作以上の魅力を生み出している。II ロマン主義へ 文学と演劇 転機となったイタリア旅行後、自らの進むべき道を定めたシャセリオーは、シェイクスピアやバイロン、ラマルティーヌなどの文学を重要な着想源として、抒情に満ちた新たな物語画の世界を色彩豊かに創造していった。ここではやがてこうした試みを受け継いで世紀末象徴主義への道を切り開くモローやルドンらの作品との比較も行っている。 ・シャセリオー《アポロンとダフネ》1845年 ルーヴル美術館 オヴィディウスの「変身物語」を題材とする本作では、アポロンの求愛を逃れるため、ニンフのダフネが月桂樹に姿を変える場面が描かれている。画面は温かい色調で満たされているが、流れるように曲線を描くダフネの体はすでに樹木化が始まって周囲の木々との一体化へ向かい、感情を失った顔は足元に跪くアポロンの熱情を拒否している。手の届かぬ存在に焦がれる太陽と詩の神アポロンの姿には、美/芸術を追い求める詩人/芸術家の関係を見ることができる。・シャセリオー《気絶したマゼッパを見付けるコサックの娘》ルーヴル美術館 ストラスブール美術館寄託 ロマン主義の時代、ウクライナの英雄マゼッパは、不倫の恋の咎で野生馬に縛りつけられて荒野に追放された姿で描かれた。バイロンの詩を着想源とした本作では、色鮮やかな衣装と黒い瞳のコサック娘を中心に描いている。メランコリックな夕空を背景に立ちつくす巫女のような娘の無垢な姿は力尽きた人馬の姿と残酷にして美しい対比を作り出し、世紀末象徴主義のモローの世界観を予告している。・シャセリオー《サッフォー》1848年 ルーヴル美術館 オルセー美術館寄託 恋に破れ、海に身を投げた伝説を持つ古代ギリシアの詩人サッフォー。ラマルティーヌの詩に着想を得た本作では、重い決断を下す直前の姿が描かれている。小画面にも関わらず、岩陰でじっと自らの心の奥底を見つめる姿と向こう側に広がる夜の海の対比を通じて、彼女の絶望と孤独の深さが巧みに描き出されている。シャセリオーの関心が、運命に翻弄される女性の脆く痛切な感情の表現にあることがよくわかる。・シャセリオー《泉のほとりで眠るニンフ》1950年 ルーヴル美術館 カルヴェ美術館寄託 森の泉のかたわらで眠る裸婦。草上のニンフの図像の伝統を踏まえてはいるが、ここでは生身の女性の裸体がクールベの裸婦を想起させる写実的な表現で描かれている。モデルは名高い高級娼婦アリス・オジー。奔放で気性の激しいこの美女に画家は翻弄された末、2年で関係は終わった。破局の原因となったシャセリオーの初期の女性肖像画も展示されている。III 画家を取り巻く人々 かつての師アングルと同様、シャセリオーは優れた肖像画の数々も残している。《アレクシ・ド・トクヴィル》や《カバリュス嬢の肖像》のような油彩の大作のほか、繊細な素描によって親しい人々の肖像も手がけた。これらの肖像を通して、画家を取り巻いた人々や環境、そして七月王政期から第二共和政期にかけてのパリの様子が浮かび上がってくる。 ・シャセリオー《カバリュス嬢の肖像》1848年 カンペール美術館 医師の娘マリー=テレーズ・カバリュスは、総裁政府時代のパリの社交界に君臨した「テルミドールの聖母」テレーズ・カバリュス(タリアン夫人)を祖母に持ち、当時のパリで最も美しい女性に数えられた。ドレスの白からケープの淡いピンク、花束の薄紫まで繊細な色彩のグラデーションが、花で縁取られたモデルの柔らかい表情とあいまって、コローの人物像に通じる叙情を醸し出している。本作品は二月革命勃発直後のサロンに出品されたが、画中には、騒乱のパリから隔絶されたノスタルジックで静謐な時間が流れている。モデルの髪に付けた「水仙」や手に持った「パルマ菫」が、近づく春の気配も教えてくれる。・シャセリオー《アレクシ・ド・トクヴィル》1850年 ヴェルサイユ宮美術館 本作は「アメリカのデモクラシー」(1835年)をはじめとする著作で知られる歴史家トクヴィルの最も知られた肖像。トクヴィルとシャセリオーは家族ぐるみのつきあいで、代表作となる会計検査院の壁画の注文を得た背景には彼の尽力があったともいわれる。椅子の背の宝石のように輝く緑を差し色にしつつ、抑えた色調で統一された画面のなかでモデルの知的な精神性が際立っている。・シャセリオー《ドサ―ジュの肖像》1850年 フランス外務省 黒衣に身を包み、超然とした態度でこちらを見る銀髪の男性。・アングル《ジェニー・ドラヴァレット(?)の肖像》1817年 国立西洋美術館 IV 東方の光 アフリカから小アジアにかけての、いわゆる東方 (オリエント) の国々の人々や風物、風景は多くの芸術家たちを魅了し、旅へと誘った。1846年にアルジェリア方面を旅したシャセリオーも旅先で数々のスケッチを手がけ、帰国後はこれらを着想源とした作品の数々を生み出した。異国的で勇壮な騎馬像やアラブ馬の一方で、洋の東西を問わぬ家族の日常的情景を好んで描いたシャセリオー独特の作品世界を、ドラクロワからルノワールまで19世紀のオリエンタリスム絵画の系譜のなかで展示されている。 ・シャセリオー《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》1851年 メトロポリタン美術館 天井から吊り下げられた揺り籠の赤ん坊をあやす2人のユダヤ女性。家族と思われる3人の姿は、聖母子と聖アンナを思わせる。優しく親密な一体感を示す母子像は、主題を問わず、シャセリオー作品に繰り返し登場するモティーフ。シャセリオーの東方主題の作品の魅力は、異質な他者に対する視線が作り出したエキゾチズムにではなく、画家独特の深い共感とある種のノスタルジーの表現にあることを教えてくれる一枚。・シャセリオー《雌馬を見せるアラブの商人》1853年 ルーヴル美術館 リール美術館寄託 遠景に北アフリカ独特の白い街並みを望む青空の下、艶やかな黒毛のアラブ馬の取引をする商人たちが描かれている。多くのロマン主義の画家たちと同様、シャセリオーは生命力にあふれた馬に魅了され、多数描いた。男たちの交渉のかたわらでは、いつも通り、体を寄せ合う母子像が描きこまれている。・シャセリオー《コンスタンティーヌのユダヤの娘》1846-55年 エティエンヌ・ブレトン・コレクション アルジェリアへの旅の途上、あるいはその後の回想のなかで描かれたユダヤ人女性の胸像。娘の強い視線が印象的であるとともに、柔らかな布を描き出すための素早く生き生きとした筆遣いが目を引く。《室内履きの6つの習作》ルーヴル美術館版画素描部門 V 建築装飾 寓意と宗教主題 サン・メリ教会、サン・ロック教会、サン=フィリップ=デュ=ルール教会など今も残るパリの教会や、1871年のパリ・コミューンで破壊されたオルセー河岸の会計検査院など、数々の公共建築物の天井や壁の装飾にシャセリオーは若くして取り組み、大画面に寓意画や宗教画を描き出した。ここでは、関連習作や資料などを通して、こうした建築装飾の仕事、そして最晩年の宗教画などが紹介されている。 ・シャセリオー《東方三博士の礼拝》1856年 プティ・パレ美術館 37歳で急逝したシャセリオーが最後に手がけた作品の1つ。救世主誕生のお告げを受けて馬小屋の聖母子のもとを礼拝に訪れた東方の三博士はそれぞれ褐色、黒、白と肌の色が違い、異なる民族をあらわしている。聖母子像については、子を抱く母の姿はシャセリオーが繰り返し描いてきたモティーフであるとともに、マリアの顔は最後の恋人マリー・カンタキュゼーヌ公女の面影を宿すといわれている。本作は彼女が所有していた作品の一つ。・ギュスターヴ・モロー《若者と死》1881-82年 オルセー美術館 フランス象徴主義の巨匠ギ親友であり偉大なる師でもあったシャセリオー37歳の早世追悼作品。シャセリオーの面影が残る希望と生に満ちた「若者」と、若者に忍び寄る「死」を象徴的に描き出した作品である。画面中央に配されるシャセリオーを理想化した顔立ちの若者は、光に包まれながら自ら左手で勝利を象徴する「月桂樹」の冠を被ろうとしているが、右手には死を意味する「黄水仙」の花束が握られている。若者の背後には柔らかい眠りにつく若い女性が若者へ付きまとうように描かれており、女性左手には限りある時間を意味する「砂時計」が、右手には絶命を意味する「剣」が配されている。さらに画面下部には幼児の姿をした聖霊が松明を手にしているものの、その炎は今にも消えそうなほど弱々しい。・ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《海辺の乙女たち》1879年頃 オルセー美術館 再見 ・シャセリオー《会計検査院のための関連習作》1844-48年 ルーヴル美術館版画素描部門:母親と老人の間に建つ「平和」女性頭部像(力と秩序)、戦からの帰還、騎兵から逃げる女(秩序)、裸婦半身像、腕を伸ばす東洋人男性がいる群像、物思い(瞑想) ・シャセリオー《会計検査院のための装飾壁画断片》1890年:戦争2、力と秩序、兵士たち、平和2、ブドウを収穫する人々2、諸民族を結びつける商業、海の精 【会計検査院のための装飾壁画の説明動画】大階段の下に「戦争」が置かれ、大階段を昇っていくと次第に「平和」になっていくことが良く分かった。 【会計検査院のための装飾壁画パネル】展開会場の出口に設置されていた。 【サン=メリ聖堂壁画】5場面 ・シャセリオー《エジプトの聖マリアの生涯》1841ー43年 ルーヴル美術館版画素描部門 ・パネル展示《エジプトの聖マリア礼拝堂東側壁画》 【サン=ロック聖堂洗礼盤礼拝堂壁画】2場面 ・シャセリオー《インド人に洗礼を施す聖ザビエル》1852‐53年 ルーヴル美術館(プティ・パレ美術館に寄託) ・シャセリオー《エチオピアの女王の宦官》1852‐53年 ポワティエ美術館 ・模型《サン=ロック聖堂洗礼盤礼拝堂壁画》1854年 プティ・パレ美術館 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-03-06 08:57
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