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吉田博はwikipediaでは、このように紹介されている。
また2016-07に放映された日曜美術館の要旨はこちらにまとめられている。 「2016年の美術展ペストテン by とら」は、こちらであるが、残念だったのは「生誕140年 吉田博展 @ 千葉市美術館」に行き損ね、夏目漱石の三四郎に出てきた《ヴェニスの運河》が見られなかったことである。 この木版画《ヴェニスの運河》↓は実見したかった。 A.今までに実見した作品 1. 「小島烏水版画コレクション展@横浜美術館」(2007-02)で、吉田博の水彩画《老木》を見ているが、画像はない。 2.吉田博《妙義神社》1900年(明治33)頃 ボストン美術館蔵: ダブル・インパクト 明治の日本の美 @東京藝術大学大学美術館( 2015-04) 吉田博の西洋画の技法による日本の伝統を描いた水彩画《妙義神社》は、「ジャポニスム」とは異なる「ジャパニーズ・インパクト」として、米国で受容された。 同じ版木を使って、色を変え、時間の変化を表現している。モネの連作のようだ。とても抒情的である。これは東近美でも町田でも見ているが、良いものは何回見ても良い。なお、この版は関東大震災で焼けたため、版元の吉田庄三郎が6種類の摺りの《帆船》を制作している。その一つである《夕日》は、「よみがえる浮世絵展@東京都江戸博物館」で見ている。 長い間外国を旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。 「ベニスでしょう」 これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片きれとをながめていた。すると、 「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。 「兄さんとは……」 「この絵は兄さんのほうでしょう」 「だれの?」 美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。 「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか 三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。 「違うんですか」 「一人と思っていらしったの」 「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、 「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。6.恋は宇宙的な活力である @広島県立美術館(2013-06)吉田博の連作木版画《帆船》のうち、今期には《霧》と《夜》が出ていた。お馴染みの作品である。 MOA美術館所蔵 吉田博 木版画展 抒情の風景@千葉市美術館(2017.1.14~2.26) なかでも国内外の景観を中心とした木版画を多く制作し、その精緻な技法と色彩の豊かさで、今なお愛好家を魅了し続けている。 また、特に「櫻八題」、「東京拾二題」など日本の風景を表現した作品は、その場の光や大気の様子までも再現したかのような写実性と、観る人にどこか懐かしさを感じさせる抒情性を兼ね備えている。 本展では吉田博の木版画86点(MOA美術館蔵)が紹介されている。 《瀬戸内海集 光る海》 1926(大正15)年 木版、紙 37.2×24.7cm 長辺が70cmを超える大判作品では、優れた下絵の構図と高い摺りの技術の両方が要求される。 また、何枚もの版を使用し何回も摺り重ねる多色刷では、色味の複雑さや立体感を出すため、正確に版の構成を考えることが必要だった。 多くの作品が30回前後の摺りで完成となるが、博の作品では96回摺っているものもある。 また同じ版木を用いながら作品によって色を変える別摺では、時間や気候の変化を巧みに表現している。 自ら彫りと摺りを研究した博は、創意工夫を重ねた「新しい木版画」を生み出した。 大判作品のうちの1点。富士山の雄大かつ草原荘厳な姿が、見事に表現されている。 (下)《陽明門》 1937(昭和12)年 木版、紙 37.9×24.8cm 多色刷作品のうちの1点。完成までに96回の摺りを重ねており、緻密な門の装飾が立体感をもって再現されている。 日本人の洋行がまだ珍しい時代、博は決死の覚悟をもって政府の後押しなく渡米し、成功を収めた。 その後もボストンをはじめアメリカで活躍する一方、欧州からインド、アジアにまで出かけ、各地で写生を続けた。 グランドキャニオンのようなアメリカの雄大な自然や、マッターホルンをはじめとするヨーロッパの高峰。「水の都」ヴェネツィアに、壮麗なインドの宮殿。そして晩年に従軍で訪れた中国の街並みなど、数々の写生旅行で博が目にした風景は、その土地それぞれの特徴を美しく捉えながら、木版画として私たちの前に再現されている。 高山を好んだ博は、スイスの高峰・マッターホルンにも魅了された。その形を烏帽子岳に、険しさを槍ヶ岳に例え、賛辞を送っている。 (下)《タジマハルの朝霧 第五》 1932(昭和7)年 木版、紙 36.2×51.0 cm 長男・遠志と写生旅行に訪れたインドでは、その景観とともに、宮殿をはじめとする建造物の細やかな装飾にも心を奪われた。 若き日より山に親しみ、深山幽谷に分け入って写生をした博にとって、登山はライフワークそのものだった。 毎夏の日本アルプス登山を欠かさないほど高山に魅入られた博は、生涯をかけて「山の一番美しい表情」を捉えた作品を制作した。 葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に着想を得たといわれる連作「冨士拾景」など、様々な場所から富士山の姿を捉えた作品は、1つの山に対する博のこだわりを感じさせる。 また博が最も愛した日本アルプスからは、次男の名前にもなった穂高山(穂高岳)と隆々とした流れを見せる黒部川を描いた作品が展示されている。 穂高山(穂高岳)は、博が日本アルプスの中でも特に好んだ山であるが、山だけではなく、裾野に広がる湖水美をも称賛した。 博の木版画作品には、広々とした海、とめどなく流れる川、静かに周りを映す湖、雨の名残の水たまりなど様々な姿の「水」が登場する。 なかでも連作「瀬戸内海集」では、同じ版を用いながら色を変えて摺る手法をとり、帆船という1つのイメージを朝、午前、午後、霧、夕、夜の六場面に展開している。 (右)《瀬戸内海集 帆船 午後》 1926(大正15)年 木版、紙 50.8×36.1cm 国内外から愛された吉田博の作品は、ダイアナ妃が買い求めていたことでも知られている。 (右)《猿澤池》1933(昭和8)年 木版、紙 37.7×24.6cm またダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官や精神分析学者ジークムント・フロイトも吉田博の作品を入手していたとされている。 博が制作した250種類以上の木版画の中で、特に数が多いのは日本の名勝地を描いた作品である。 日本の風景が持つ抒情性や、自然と名跡との調和の美しさは、日本に閉じこもることなく、多くの洋行を経た博だからこそ捉えることができたものであると考えられる。 博は、東京に取材した連作「東京拾二題」をはじめ、京都の《金閣》、奈良の《二月堂》、栃木の《東照宮》など、日本各地の名所を題材に制作を続けた。 博が実際に訪れたことのある風景だからこそ、時の移ろいやその場に流れる空気、あるいは人々の賑わいが作品から伝わってくる。 (右)《東京拾二題 亀井戸》 1927(昭和2)年 木版、紙 37.5×24.7cm 歌川広重の連作「名所江戸百景」のうち《亀戸天神境内》に基づくと考えられる作品。同様の構図をとりながら、博の作品では量感のある藤の房だけではなく橋を映す水面の描写にも重点が置かれている。 吉田博が初めてボストンを訪れたのは1899年末。 画家で同志の中川八郎と渡欧のための資金を得るために、自作を持って渡米した。 翌年に開催した展覧会の際に、ボストン美術館は水彩画の《妙義神社》を入手した。 2度目は1904年。のちに妻となる義妹ふじをとともに渡り、当地で骨董商を営んでいた松木文恭の支援を受けて2年ほど滞在。ボストンを拠点にアメリカ東海岸の各地で「兄妹二人展」を開催し好評を得た。 3度目は、関東大震災で打撃を受けた画家仲間を救済するために渡米し、1924年にボストンを皮切りに展覧会を開催した。このとき、初めて西部を廻り、グランド・キャニオン、レニア山などアメリカの雄大な山岳風景を目の当たりにし、スケッチを重ね、作品にした。 積極的に国内外をめぐり続けた吉田博。その隣には、画家としての活動に理解を示し、共に旅をし、支え続けた家族の存在があった。 ちなみに、夫人のふじを(藤遠)、長男遠志、次男穂高、その夫人千鶴子、その長女亜世美と揃って版画家であり、吉田ファミリーとして著名である。 博はこうした家族との何気ない日々の生活も作品に残した。 また日本を象徴する花である桜の名所を表した連作「櫻八題」も手掛けた。 八つの名所それぞれに相応しい種類の桜が取り合わされた「櫻八題」は、描かれる時間帯や天候、構図も異なっており、「桜」という共通の題材を通して様々な春の風景を再現した作品である。 櫻八題 (EIGHT SCENES OF CHERRY BLOSSOMS)一覧 1.Cherry Tree in Kawagoe(川越之櫻) 生誕140年 吉田博展 巡回先 ________________________________________ 千葉市美術館 2016年4月9日~ 5月22日 郡山市立美術館 2016年6月4日~7月24日 久留米市美術館 2017年2月4日~3月20日 上田市立美術館 2017年4月29日~6月18日 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 2017年7月8日~8月27日 ________________________________________ 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-01-27 09:11
| 浮世絵
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