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今朝の日曜美術館は「浦上玉堂」。番組の紹介は、以下のようになっている。
【内容】独創的な山水画を描いた文人画家である浦上玉堂は画家であり詩人であり、琴士であった。玉堂の詩の朗読、琴の演奏と連動させながら、水墨山水画の数々を紹介する。浦上玉堂の専門家である小林忠・岡田美術館館長や守安收・岡山県立美術館館長も参加しておられたが、新鮮味のある話はほとんどなく、岡山県立美術館で(2016年9月23日~10月30日)に、千葉市美術館で(2006年11月3日~12月3日)に開催予定の「文人として生きる浦上玉堂・春琴・秋琴父子の芸術」展のPR番組となり果てていたのは、まことに残念であった。 浦上玉堂と次男・浦上秋琴の共作《山水画帖》には、象徴絵画のような現代的な作品もある(↓)。 特に、浦上玉堂の生涯や作品と 世俗から身を引くことで保身を図る「老荘の隠遁思想」や すべての事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する「陰陽思想」との関係に 番組内でまったく触れられていないのはどうしたことなのだろうか。日曜美術館の番組企画・制作には もう少し工夫をしてもらいたいものである。 そこで、2006年に千葉市美術館で開かれた特別展「浦上玉堂」のブログ記事とホームページ記事の内容を下記に引用することとした。 1.ブログ記事 江戸時代中期以降の絵画で琳派と並んで画壇の中枢を占めたのは文人画である。その画家の一人、浦上玉堂の大規模な展覧会が千葉市美術館で開かれている。早速、初日に観にいってきた。 いわゆる南画で地味な画が多いが、他の画家とはひと味もふた味も違っている。一種の心象風景というか、象徴絵画ともいえる作品群である。 画のほかに文・書・琴なども出展されており、幅の広い文化人だったことがよく分かる展覧会となっている。 この前期の会場で偶然いづつやさんに会い、面白い会話をした。その内容を含めてホームページに書いた。 2.ホームページ記事 快晴の文化の日。千葉市美術館で開かれている特別展「浦上玉堂」の初日へ。 あまりにも有名な《東雲篩雪図》は国宝展で何回もお目にかかっており、そのたびに不思議な絵だなと思っていた。 (↓)は、この川端康成旧蔵の国宝《凍雲篩雪(とううんしせつ)図》 休日でもあるし、ある程度混んでいることを覚悟していたのだが、意外と空いている。全体の4分の1ほど見たところで、メモをとりながらこちらに向ってくる男性がいる。「いづつやさん」だった。そこで意外な発見についての意見交換をした。やはり興味が同じところに向っていたらしい。 江戸時代の文人画家「浦上玉堂」(1745~1820)は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトによってゴッホに比せられ、「彼は日本美術の空に光芒を曵く彗星のごとく、独自の軌道を歩んだ」と語ったとのことである。 彼は岡山の武士であったが、50歳で脱藩出奔し、全国を遍歴した後、京都で酒と琴を愛し、ほろ酔いの中で即興演奏のように山水画を描いた。 展示は「序章」に始まり、第1章「岡山在住期を中心に」、第2章「画業展開期」、第3章「旅と交友」、第4章「大作」、第5章「郭中画」、第6章「画帖」、第7章「書」、第8章「七弦琴」という分類である。初めは分類に従って展示されていたが、途中からはいくつかの分類の作品がまとめて陳列されている。部屋の関係なのだろうが、画・文・書・琴など広いレパートリーをこなした玉堂の展示としてはこのように渾然一体となっているのがかえって良かった。 会場に入ったところにあるのは梅原龍三郎旧蔵の《対山撫琴図》。 山が聳え立つ画だが、ところどころに白い〇のようなものが描かれている。 キャプションによるとこれは「陰陽思想に基づく男性イメージ」とのこと!本当かなと思って観ていくと似たようなイメージのある作品が結構ある。 大分後のほうだが、《山澗読易図》(↓)のキャプションにも易経の男女の陰陽との関係が書かれている。 後期にも行かれたいづつやさんのレポートによると、この《山潤読易図》は「男根山水図」と命名されている。 男性のイメージは「山」であり、「山と山の間を流れる滝とか谷」が女性のイメージであるというのである。 そうすると《幽林間適図》の〇などは女性のイメージということになるのだろうか? 実際、重要文化財の《鼓琴余事帖・風高雁斜図》(↓)は、このようなイメージの集合である! ひょっとするとキャプションが誤解を招きやすい文章となっていたのであろうか。東大出版会の雑誌「UP」の最近号に千葉市美術館館長・小林忠氏の「音楽と詩を絵にした山水画家、浦上玉堂」という文章が載っていたが、これによると「老荘の隠遁思想に憧憬し、陰陽五行の自然の哲理に従って自足した。そうした玉堂の精神風土は終始一貫して変わることがなかった」となっている。 これ自体もけっして平易な文章とはいえないが、「老荘の隠遁思想に憧憬」とは世俗から文人生活に隠遁した浦上玉堂が自分自身を大自然の中の小さな人間として描いたということだろう。するとその後の「陰陽五行の自然の哲理」とはどういうことなのだろうか。 「陰陽五行説」とは「陰陽説」と「五行説」が合わさったものであるが、キャプションの表現はあくまで「陰陽説」に立ったものではなかったのではないのか。 変な感想を先に書いてしまったが、お気に入りを挙げると、 《琴写澗泉図》・・・一陣の風が巧みに表現されている 《青山雨晴図》・・・茶色と緑で彩色された美しい扇面 《水流雲在図》・・・緑の美しい小品 《山邨読書図》・・・川端康成が梅雨時に掛けた雨に霞む山景 《深林絶壁図》・・・圧倒的な迫力の重要美術品 《山雨染衣図》・・・バランスのよい重要文化財 《山水画帖》・・・心地よい柔らかな曲線美 《煙霞帖・青山紅林図》・・・代赭色の紅葉が素晴らしい重要文化財。 玉堂の作った七弦琴が何本も展示されていた。黒と貝蒔絵のコントラストが美しい。彼は琴の演奏・作曲だけでなく実際に制作していたのである。息子「春琴」の描いた琴を弾く玉堂の絵も出ていたが、とてもエレガントな文化人である。その風貌は日本のゴッホとはとても思えない。このように武士を捨て自由に藝術に生きることのできた江戸時代はさだめし良い時代だったのだろう。 (2006.11a) (追 記) 2006.11.19の新日曜美術館「浦上玉堂」を見た。琴の専門家の話は良く分かったが、岡山県立美術館の守安収氏の話にはがっかりした。老荘の隠遁思想についてはしっかり話されたが、陰陽説に関しては問題のイメージを「白く抜けた空き地」と表現されただけだった。 (参 照) 浦上玉堂の山水画とその作画精神 - 黒川古文化研究所 (参 照) セカンドライフ列伝 第16回 浦上玉堂 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2016-10-09 15:05
| 江戸絵画(浮世絵以外)
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