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梅雨前の猛暑、台風の襲来と天候不順が続いたので、「美術散歩」を控えていたが、台風一過の梅雨晴れとなったので、世田谷美術館に出かけてきた。暑いので、車で往復したが、これは熱中症予防のためやむを得ない。
1950年代前半、戦後の画家志望の青年たちが次々パリを目指した。今回の展覧会はその一群の画家の作品が33歳で夭折した金山康喜の作品を中心に展観されていた。 東京大学経済学部・同大学院を卒業した金山康喜(1926‐59年)は、1951年、経済学を学ぶために渡仏し、始めは経済の専門書を翻訳したり、貿易商をしていた父親の仕事も手伝いながら、キャンバスに向かっていたが、絵画への情熱が再燃し、制作にのめりこんでいった。 パリ時代にはビンやポットなどを組み合わせた静物画を繰り返し描いている。1952年のサロン・ドートンヌ展に初入選した《アイロンのある静物》(↓)は、この画家らしい色使いでシャツの冴え冴えとした青色を際立たせている。 戦後のパリでは具象、抽象、半具象が入り乱れ、美術が新たな幕開けを迎えていた時代であり、当時パリに在住していた日本人画家は、新しい芸術を身につけて帰らなければという切迫感を持ち、それぞれが独創的な画風を確立していった。 この展覧会は、33歳で夭折した金山康喜の世界を約70点で回顧するとともに、金山と交友があった藤田嗣治、荻須高徳、野見山暁治ら13名の画家の作品約70点をあわせて展示し、華やかに個性を競いあった画家たちを紹介しているものだった。 Ⅰ-1 金山康喜: 高校・大学時代から新制作派時代 1943‐1950 ・金山康喜 《食前の祈り》 1950年 富山県立近代美術館 Ⅰ-2 パリ時代 1951‐1959 ・藤田嗣治(レオナール・フジタ)《花を持つ少女》1952年 メナード美術館
by cardiacsurgery
| 2015-07-20 10:38
| 近代日本美術
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