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2010年に千葉市美術館で開催された「伊藤若冲 アナザーワールド」で全巻を見たように記憶しているが、それほど詳細に検討したわけではなかった。 ところが、2015年3月28日(土)に、テレビ東京の「美の巨人たち」でこの絵巻を主題とした番組を視聴する機会があったので、詳細なメモを取った。この番組に触発されて、このブログ記事を書くこととしたのである。 「美の巨人たち」のタイトルは、「伊藤若冲《乗興舟》天才絵師の問題作!モノクロ絵巻の特殊技法とは?」という大袈裟なものだったが、出演者は狩野博幸(元・京都国立博物館、現・同志社大学) 、伊藤紫織(千葉市美術館) 、遠藤勇樹(版画家) 、有本保雄(京友禅師)の4氏という錚々たる陣容で、その内容は大変勉強になった。 明和4年、幾分寒さの残る春、男の二人連れが、伏水(伏見)から大坂天満橋・八軒家浜へ向かう三十石船に乗り込み、淀川両岸の情景を楽しむことになる。 男の一人は、後に京都五山の臨済宗相国寺第百十三世となる大典顕常。この時は48歳で、8年前に相国寺・慈雲庵の住持を辞して、漢詩人・書家となっていた。 もう一人の男は伊藤若冲で、この時51歳。 若冲は明和、安永、天明に刊行された文化人名録「平安人物志」にも掲載されている。 奇想派の画家として超有名画家となったのは最近のことであるが、当時すでに有名だったのである。 《乗興舟》の船旅をする2年前の明和2年、若冲は、長年月の努力の末に完成した《釈迦三尊像》3幅と《動植綵絵》24幅を、相国寺に寄進しているので、明和4年には少し時間的な余裕はあったと思われるが、大典の誘いにのったのは、別にそれなりの理由があったのである。 若冲は、ライバルである円山応挙が、明和2年に制作した《淀川両岸図巻 》に刺激を受けていたに違いない。 明和 2年の応挙の作品が、昼の情景ならば、明和4年の若冲は夜の情景、応挙が写実的な作品ならば、若冲は幻想的な作品をと考えたのだろう。 実際、淀川を往復する三十石船には、朝出発で夕方到着の「昼舟」と夕方出航で朝方到着の「夜舟」があったということだが、若冲が「夜景を船中から眺める趣向」を選んでいるのは、応挙に対するライバル意識によるだろう。 応挙の作品が画家だけのものなのに、若冲のものは時代を先導している詩人と画家のコラボだということも気に入ったのかもしれない。 しかし、若冲にとって最も重要なことは、「幻想的」な作品を制作する新しい技法を開発することであった。その新しい技法のめどがついたので大典の誘いを受けたのであるのではなかろうか。 完成した若冲の拓版画は、江戸初期に渡来した黄檗美術の版画技術を基にしたもので、実際の工程は以下の①~③ようであるが、「美の巨人たち」の番組内では、遠藤勇樹氏の実演によって白黒が反転した拓版画が出来上がった。 ①版木に下絵を当てて、下絵の線を彫る。遠藤勇樹氏は、白と黒の中間色である灰色の部分の「ぼかし」摺りのやり方は分からないということだったが、狩野博幸氏の意見では、若冲は友禅染めの「ぼかし」の技法をヒントにして薄墨の「ぼかし摺り」を開発したのだろう ということだった。 そして、京友禅の有本保雄氏が、次のような手順で、「ぼかし」の技を実演された。 ①ぼかしたい部分に水を引いおく。《乗興舟》の画面を仔細に見てみると、川面や山並みは漆黒に、麓や両岸の風景は「ぼかし」を入れた薄墨で摺られており、両者の対照が風景を幻想的に浮き上がらせているのだということが分かる。空は漆黒の闇のような黒だが、実際に描かれているのは春の朝だということである。 それでは、以下、若冲と一緒に《乗興舟》のヴァーチャル・トリップに出かけてみよう。白と黒だけで描かれたこの作品について、若沖は「自分の絵の価値が分かる人を千年待つ」という言葉を残しているとのことだが、まだ三百年しか経っていないことに留意しながら・・・。 ・長堤千樹松 箇々涵翠影 (長い堤の千本松、 どの松も緑の影を水にうつしている) 【註】 この記事における大典和尚の詩句の現代語訳は、すべて山内長三氏の「大典禅師の短辞と題詩」からの引用である。 舟は「淀城」、「達堂」と進んでゆく。それぞれに大典和尚の詩句が付いている。 ・白葛曝平沙 春風尚怯雪 (平らな砂場にさらした葛布は白く、 春風は吹いているが、 まだ雪がふるのではないかとおびえている) ・春水連城港 (春の水は大坂の港に通じている) ・閭闊坐自移( 街はひろい。舟にのっているので、動かずに 移りゆく景色が眺められる) ・虹橈三百尺 (橋のまがった木は三百尺もある) ・繋幾千舟 (たくさんの舟があちこちからきてもやっている) ・丁亥之春余與景和赴浪華 (丁亥‐明和4年‐の春、私と景和‐若冲‐は浪花に行った) ・舟中随所見作図 (舟の中から見たところに随って、若冲はこの図を作った) ・余則題短辞皆不及成章 (私はそれに短いことばを題したが、みなまとまった文章にはなっていない) ・亦一時乗興耳 (ただ一時のおもしろさにつりこまれてやっただけのことである) 若冲の眼は「カメラのレンズ」だったのである。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-04-01 15:10
| 江戸絵画(浮世絵以外)
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