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これは、プロローグ1、プロローグ2、第Ⅰ章について書いた「その1」の続きである。
第Ⅱ章 日常生活の寓意-風俗描写を超えて 17世紀のオランダ・フランドルの絵画のなかには、聖書や神話の一場面でありながら、無名の人々の日常的情景のように見える作品があった。その一例は、レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインの《聖家族》または《指物師の家族》1640年(↓)である。この作品の柔らかなレンブラント光線はまことに見事である。 その一例として、ニコラ・レニエの《女占い師》1626年頃を見てみると、二人の褐色の肌の「ロマ人」の女が組んでおり、そのうちの若い方が「女占い師」として、色の白い世間知らずの娘の手相を読むふりをしている。 中央の女占い師は若くて美しい。胸に着けた花の色は「白」が純潔、「ピンク」が優しさ、「赤」が愛の表象であるが、肝心の花の種類は「はかない幸福」を意味する「野バラ」であり、「きれいな花には棘がある」。この女占い師は左側の若者に、婚約・婚礼・、熱愛を意味するピンクのカーネーションを手渡している。 占い師の背後にいる道化師には隠喩がありそうである。道化師は一般に軽蔑の的になっているが、これは擬装にすぎなくて、白黒・正邪・光陰といった二つの対立世界を行き来して、それらの価値や意味を転換させる力を持っているといわれている。 すなわち、この「女占い師」(Y)は「結婚詐欺師」で、「道化師」(A)を装った男(C)をボスとする「フランドルやくざ」の一員なのである。 18世紀には、フランスのグルーズ、イギリスのホガースが、市民階級の人々を主人公とした場面に道徳的メッセージを託する絵画を描いている。 ジャン=バティスト・グルーズの《割れた水瓶》1771年においては、壊された水差しと花びらを失ったコサージュの野バラが描かれていることから、この少女が弄ばれて暴行され、処女性を失ったのであることが分かる。この画は、ポンパドゥール夫人の後にルイ15世の寵妃となったたデュ・バリー伯爵夫人が、フランス革命で斬首刑に処されるまで所有していたことから、若い時の彼女がこの《割れた水瓶》のモデルだったという説がある。 科学の発達は17世紀には重大な意味を持っていた。今回の展覧会の目玉作品として来日しているヨハネス・フェルメールの《天文学者》1668年はこの科学の発達に裏打ちされた作品である。 また、これの対作品であるフェルメールの《地理学者》については、こちらに書いている。 この有名作品については、Wikipediaにも詳細に説明されているので、ここで改めて書くこともなかろう。 第Ⅲ章 聖なる状景-日常生活における恋愛遊戯 17世紀のオランダでは、男女が室内でワインを飲み交わし、ともに楽器を奏でる風俗画が、数多く描かれた。これらには、恋愛への警鐘などの道徳的暗示が込められていることが多かった。 18世紀のフランスでは、ロココ絵画の巨匠ヴァトーが雅宴画と呼ばれる独自のジャンルを生み出された。ヴァトーに連なるフランスの画家たちが描いた優雅な男女の姿には、恋がもたらす歓びや幸福感にあふれている。 ここでは、ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《二人の従姉妹》1716年頃の画像を挙げるが、画面中央の女性は、はるか彼方の望みつつ与えられない「愛」と「美」の女神ヴィーナス像をじっと眺めている。一方、右側の女性はすでに「愛」を得て、相手の男の戯れを受け入れている。 17世紀以降の風景画は、「英雄的風景」と「田園的・牧歌的風景」の二つに大別されている。本章で対象とされているのは後者であるが、なかには風俗画と呼べそうなほどに、人間の日々の営みの描写が際立つ作品も見られる。その好例といえるのが、「狩猟」をテーマにした風景画で、その代表例はアンニバレ・カラッチの《狩り》1585-588年頃である。 鏡の前で身づくろいをする女性という主題は、16世紀から19世紀を通してヨーロッパ各国で描かれている。 ティツィアーノ・ヴェッチェリオの《鏡の前の女》1515年頃もその一例である。「観客が人物の一面しか見られない二次元の絵画に比べて、人物を後ろからも見られる三次元の彫刻が優位である」という意見に対して、ティツィアーノが後ろも見えるように「鏡を使った画」を描いて、絵画の彫刻に対する「非劣性」を証明したとのことである。 第Ⅵ章 アトリエの芸術家 もともとは職人的な徒弟制度のもと運営されていたアトリエは、17世紀以降には、一人の画家が自らの想像力と向き合う私的な空間となった。 バーレント・ファブリティウスが1655‐1660年頃に描いた《アトリエの若い画家》(↓)のモデルは、弟のヨハネス・ファブリティウス(1636-1707年)だと考えられている。 ジャン・シメオン・シャルダンの《猿の画家》1739‐1740年頃は、その好例である。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-02-25 14:30
| 国外アート
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