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第3室「仏教の美術-平安~室町」で、河合玉堂画伯旧蔵の《聖徳太子絵伝》南北朝時代・14世紀に遭遇した。
聖徳太子の伝記を絵画化した《聖徳太子絵伝》は、文献上は8世紀に四天王寺に存在したことが知られている。 現在残っている最古の遺品は、平安時代の絵師・秦致貞が、1069年に、法隆寺絵殿の壁面5間に描いたものである。東博で何度もこれを見ているが、画面全体が黒ずんできていて、細部にわたって理解するためにはかなりの努力を必要とする。 これに対して、今回展示されていた「聖徳太子絵伝 三幅」は中世の作品あるが、保存状態が非常に良くて、素晴らしい色彩が残っている。河合玉堂がこの絵に惹きつけられた理由もこの点にあったのだろう。 会場では、各幅について丁寧な説明パネルが付いていたので、それを頼りにじっくりと鑑賞してきた。 B. 太子十六歳:用明天皇の葬送 C. 太子十六歳:六角堂(京都・頂法寺)建立由来。四天王寺建立の為の用材を求め、如意輪観音の夢告で紫雲たなびく大杉を得る。その材で六角堂を建て観音を安置したという D. 太子十七歳:崇峻天皇に傷害の相があることを占う E. 太子十七歳:百済から仏舎利や僧侶などが来朝する F. 太子十八歳:東山・東海・北陸の三道に使いを出す G. 太子十九歳:太子の戴冠の儀 H. 太子二十歳:崇峻天皇、新羅遠征軍を出す I. 太子二十一歳:崇峻天皇、献上された猪をみて、蘇我馬子への殺意をもらす。太子、群臣に禄をもって口止めする。 J. 太子二十一歳:蘇我馬子、崇峻天皇を殺害して慢心した東漢直駒を殺す B. 太子二十二歳:四天王寺建立(左上)塔の初層と法会の場面 (左下)四天王寺四箇院のうち 施薬院、療病院、悲田院 C. 太子二十三歳:三宝興隆の詔が発せられる D. 太子二十四歳:同時に八人の訴えを聞く E. 太子二十四歳:淡路島に霊木が漂着 F. 太子二十五歳:高麗僧、恵慈に法華経の落字を問う G. 太子二十五歳:法興寺が落慶し、無遮大会(布施の儀式)を行うと瑞雲が発生 H. 太子二十六歳:百済国から阿佐太子来朝 I. 太子二十七歳: 甲斐国から献じられた黒駒に乗り、富士山を越え、信濃、上・中・下越を経て三日で戻ってきた(拡大図 ↓) J. 太子二十八歳:太子、地震を予言 K. 太子二十八歳:百済から駱駝、驢、羊、白雉が贈られる(拡大図 ↓↓) L. 太子二十九歳:新羅遠征 A. 太子薨去の年:恵慈、太子の薨去を悲しむ B. 薨去二年:新羅、任那の従者、仏像・金塔・幡を献ずる C. 薨去三年:一僧、祖父を殺す D. 薨去五年:蘇我馬子没す E. 薨去七年:推古天皇崩御 F. 薨去二十二年:蘇我入鹿、斑鳩宮で山背大兄王等上宮王家を襲う G. 薨去二十三年:蟇や赤牛が人のように立って歩くなど種々の異変があらわれる H. 薨去二十三年:山背大兄王ら諸王子、斑鳩寺の塔から西方へ昇天 I. 薨去二十四年:中大兄皇子、中臣鎌足らによる蘇我入鹿の誅殺 J. 薨去二十四年:蘇我蝦夷の自殺 美術散歩 管理人 とら 【註】 ・その1: ひつじと吉祥 ・その2: 聖徳太子絵伝 ・その3: 源氏物語扇面・筆跡 と 三色紙 ・その4: 茶道具と吉祥画
by cardiacsurgery
| 2015-01-05 11:18
| 国内アート
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