記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
今回のホイッスラー展は、①人物画、②風景画、③ジャポニスム という三章展示であるが、そのハイライトはこの章別展示とは独立した別室で公開されている「映像展示 青と金色のハーモニー:ピーコック・ルーム 1876‐77」である。
映像の映写時間は短いものであるが、拡大画像はとても迫力がある。室外には、ビデオでこのピーコック・ルームの成立に関わる物語が紹介されていたが、残念ながら内容的にはいささか不十分なものだった。 そこで、本展のブログ記事はこの「ピーコック・ルーム」のことから始めることとする。 この食堂のデザインを担当したのは建築家のトーマス・ジェキルだった。 彼のデザインは、レイランドの中国青花磁器コレクションを収納する複雑な 格子棚をオランダの古い金革を張った壁に取り付け、ホイッスラーが描いた《磁器の国の姫君》↓を暖炉の上に置くというものだった。 そこで、レイランドの家の玄関の装飾を担当していたホイッスラーが、自ら申し出て、ジェッキルの装飾を完成させることになった。 金革の壁の赤いバラの装飾が、自作の《姫君》の色彩を目立たなくしていることを知ったホイッスラーは、この革に黄色の染料を塗り付けることとし、レイランドもこのマイナーな変更には同意した。 レイランドはホイッスラーに コーニス蛇腹や羽目板をジェッキルがデザインしたガラス戸の装飾と同じ波模様で飾らせることして、リバプールの自宅に帰った。 レイランドの不在中に、ホイッスラーはこの小規模な予定の修整を大掛かりなものに変更して、天井をオランダ製の人造金箔と豪華な孔雀の羽模様で覆い、棚を金色に塗り、扉の内側を一連の孔雀の羽模様で飾ってしまった。 しかも、食堂の装飾が完成するや、ホイッスラーは、客や新聞記者を招待してレイランドの食堂の装飾を披露した。この大胆な仕打ちに加えて、支払の問題も絡んできて、画家とパトロンの間に深刻な不和が生じた。 ホイッスラーは、このため、大変なお金をかけた革にプルシャン・ブルーのペンキを塗らざるを得なくなり、一方、《姫君》が掛かっている壁の対側の空白だった壁に一対の闘う孔雀を描いた。 もう一方のおとなしそうな孔雀には銀のトサカが描かれているが、これは額の上に一筋の白髪を持つホイッスラーを象徴しているのである。 このように、ホイッスラーが描いた《一対の闘う孔雀》は、芸術の支配者ないし優位者であるパトロンと被支配者ないし劣位者である芸術家とのヘゲモニーを巡る永遠の階級闘争を描いた象徴的な絵画だったのである。 そしてホイッスラーは、この食堂の装飾を自分自身の三次元絵画とみなし、床の絨毯には自分の蝶紋を描きこみ、部屋全体を「青と金のハーモニー:ピーコック・ルーム」と名付けた。 レイモンドはこの《一対の孔雀》に込められたホイッスラーの「芸術家魂」に気付かかなかったのであろうか。あるいは、気付いていても無視せざるをえなかったのであろうか。 残っているのは、レイモンドがホイッスラーの装飾をやり直すことはなかったし、1892年のレイモンドの死まで、このピーコック・ルームの装飾はそのままの状態であって、レイモンドのコレクションである中国磁器で飾られていたという史実だけである。 ピーコック・ルームは、12年後に、コレクターのチャールス・ラング・フリーアに売却されたが、フリーアはその前年にホイッスラーの《姫君》を購入していた。 この部屋は、1904年に、いったん解体されてデトロイトのフリーア宅に移され、フリーア自身の陶磁器コレクションの展示に使われた。 1919年にフリーアが没すると、ピーコック・ルームはワシントンのフリーア美術館に移され、1923年に公開された。現在この部屋に飾られている陶磁器はオリジナルのコレクションに近いものである。 上述のホイッスラーの「闘うピーコック精神」は、次には「美術評論家」ラスキンとの《黒と金色のノクターン 落下する花火》の芸術性を巡る法廷闘争にも発揮される。このことについては、できれば次報以下で触れてみたいが、いずれにせよホイッスラーは表面上は楽曲名を含むタイトルで甘く包んだ「唯美主義作品」を制作しながら、心の奥底には激しい闘争的な「芸術家魂」を秘めていたのである。 【追記】 このホイッスラー展は横浜の前は京都で開かれていた。2014年10 月9日にこの京都展のことを紹介した日曜美術館を視聴していたが、本日2015年1月11日に再放送され、私も再試聴した。その中で、千住明の選曲した音楽がホイッスラーの画とともに流された。 この記事の「青と金のハーモニー ピーコック・ルーム」に対して千住明が選んだのは、ストラヴィンスキーの「火の鳥」である。両者に下記のような共通する点が多いことが選曲の理由であると聞いて納得した。 ①二人ともロシアにルーツを有している。美術散歩 管理人 とら 【参照】 ・ピーコック・ルーム ・第1章 人物画 ・第2章 風景画 ・第3章 ジャポニスム
by cardiacsurgery
| 2014-12-08 10:21
| 国外アート
|
ファン申請 |
||