記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
近年は私自身は稀にしか公募展を見にいかない。親父や叔父に連れられて日展に通っていたこともあったが、今は昔の物語である。 わが国の明治時代の洋画壇は、明治美術会を経て、外光表現を加えた折衷的アカデミズムの輸入・官学系の白馬会創設、明治美術会解散・本格的アカデミズムの導入・在野系の太平洋画会の創設という図式が作られた。 しかし、このような西欧アカデミズムの権威は、印象派の出現を機に崩れ、ポスト印象派・表現主義・キュビスム・前衛芸術などの台頭に押され、日本では雑誌「白樺」発刊、フュウザン会・二科会の創設によってこれらの非アカデミズム美術が急速に受容されていった。 「光風会」は、今年で100回を迎えた公募展を中心とし、アカデミックな領域に近い立ち位置で、若い画家の登竜門として機能してきた在野の美術団体であるが、「光風会」もこういった変貌を遂げ、そして現在も変化しつつある洋画界という文脈から見ていく必要があろう。 展示されている80余点の制作者は、光風会の創立会員たち、旧白馬会の画家たち、辻永、鬼頭鍋三郎、田村一男など大正以降の光風会を支えた画家たち、さらに有島生馬、猪熊弦一郎、小磯良平など、その後光風会から離れて二科会・新制作派協会・日洋会などで活躍した画家たちまで多岐にわたっているが、ある時期の光風会に関与していた人々である。 以下、会場でメモしてきた作品の制作者とタイトルを参考にしながら、時代順の章別に従って記述していく。第1章は3F、第2章・第3章は2Fに展示されている。 Ⅰ.白馬会から光風会へ(明治-大正初期) 黒田清輝や久米敬一郎らによって結成され、明治期の洋画に外光表現を持ち込んだ「白馬会」が、明治44(1911)年に突然解散した。これは日本の洋画を文展一本にまとめようという動きに呼応したものだったが、その翌年、三宅克己、中澤弘光、山本森之助、小林鍾吉、岡野栄、跡見泰という白馬会の若手・中堅の画家たちに、デザイナーの杉浦非水を加えた7名が、発表の場を求めて、「光風会」を結成した。これは黒田の了解を得て行われたもので、光風会展には黒田清輝・藤島武二・岡田三郎助らも賛助出品している。 この会は白馬会の外光表現・アカデミズム・明治浪漫主義の遺伝子を継承したものだったが、実際には美大生など若い画家たちの腕試しの場として機能した。 ・長原孝太郎《入道雲》明治42年(1909)東京藝術大学: 雲の上の二人の裸体男性。ギリシャ神話を彷彿とさせる。 ・矢崎千代二《秋の園》1900年頃、個人蔵(横須賀美術館寄託): 第5回白馬会展への出展作。薔薇の棘に着物の袖をかけた少女のしぐさと表情がみずみずしい。背景の緑の描写は見事。(参照) ・中澤弘光《カフェの女》1920年、宮崎県立美術館↓: ワインの栓を抜こうとしているカフェの和装の女給仕と煙草をくゆらすパナマ帽の男性客。《歌姫》という作品も出ていた。光風会創設会員の一人。 湯浅一郎《西日》/ 石川欽一郎《八瀬にて》/ 白瀧幾之助《ロンドン・テムズ河の霧》/ 小林鍾吉《船と少女》/ 赤松麟作《土佐堀川》/ 岡野栄《雨後の梅》・《海辺の牛》/ 斉藤豊作《夕焼の流》(再見)/ 児島虎次郎《旭川の夏》Ⅱ.激動の時代(大正-昭和初期) この時代には、ポスト印象派以降のヨーロッパ絵画の革新を受容すべく、フュウザン会(大正元年)、二科会(大正3年)、新制作家協会(昭和11年)などさまざまな美術団体が国内で結成されて行く中、辻永などは光風会の中心となって活躍していく。 ・辻永《ハルピンの冬》1917年、石橋財団石橋美術館↓: 日の当たる雪道。明るい光の描写は外光派。《須磨の朝》も出ていた。岡田三郎助の弟子。「ヤギの画家」・「花の画家」として知られているが(参照)、後年、芸術院のボスとして権勢を振るった(参照)。 有島生馬《舞台衣装》/ 南薫造《葡萄棚》/ 太田喜二郎《菜種刈り》(再見)/ 太田三郎《三嬌図》/ 田辺至《ヴェニス遠望》/ 小寺健吉《ゲレンデ》/ 小絲源太郎《山村春闌(安蔵里)》/ 熊岡美彦《花》/ 大久保作次郎《揺籃》/ 清水良雄《初秋》/ 耳野卯三郎《紫陽花》/ 曽宮一念《桑畑》/Ⅲ.昭和の展開 中村研一や小磯良平など多くの会員あるいは元会員が戦争記録画に手を染めているが、今回の展覧会には戦争画は1枚も出てこなかった。 戦後の光風会はアカデミックな性格を強めていった結果、日洋会が分派し(昭和52年)、朝井閑右衛門や國領經郎は光風会を離れていった。 ・内田巌《イギリスの女A》1931年、神奈川県立近代美術館↓: 藤島武二の弟子。展示作は1930年から1932年にかけて渡欧している頃のもの。1936年には挙国一致体勢の推進をはかる美術界の潮流に対抗して、猪熊弦一郎、小磯良平らと新制作派協会を結成、戦後の1948年には日本共産党に入党し、プロレタリア画壇で重きをなした。陸軍美術協会理事長として戦争画を量産した藤田嗣治の戦争責任を糾弾したことで名前だけを知っていた内田の若き日の作品を今回初めて見た。 ・猪熊弦一郎《青衣》: 渡米後の猪熊の作品との類似性はほとんど感じられない。 ・西山真一《初夏の穂高》: 大正池から岳沢を見上げる山岳画。 ・櫻田精一《東京駅》: 戦争で焼ける前の三階建ての駅舎。 ・渡邉武夫《診察室の宮崎先生》: この穏やかな医師は、美校時代の親友・宮崎次郎の祖父。 第3章でのその他の出展作は以下のように多数。すなわち、「お気に入り作品」の数が減ってきたのである。 中村研一《秋花》/ 鈴木信太郎《人形のある静物》/ 佐分真《印度の女》/ 鬼頭鍋三郎《黒椅子の少女》/ 中西利雄《花》/ 森田元子《女》/ 小磯良平《横臥裸婦》/ 田村一男《きたのくに》/ 須田剋太《老人像》/ 大澤海蔵《編物する女》/ 高光一也《黒衣の像》/ 伊勢正義《赤い上着の女》/ 新道繁《松山》/ 南政善《インドの女》/ 脇田和《上人》/ 井手宣通《伊豆》/ 藤本東一良《上昇気流》/ 岡田又三郎《シャンペン》/ 金子徳衛《男と椅子》/ 寺島龍一《坐像》/ 國領經郎《砂の上の群像》/ 清原啓一《内と外》同時開催コレクション展示としては、現代のムンクと呼ばれるノルウェーの画家「ラインハルト・サビエ」の作品が3点出ていた。タイトルは《無実の囚人》1993年、《不安》1995年、《希望》1995年。描かれた男性の顔面の内側に潜んでいる病的な精神に圧倒された。 4月18日、すなわち展覧会を見た翌日の13時に、この展覧会関連企画のパネルディスカッションを聴くために国立新美術館に出かけた。 第1席は、東京ステーションギャラリーの冨田章館長。タイトルは「白馬会から光風会へ」という限定的なものだったが、「日本美術史における光風会」というべき広汎な内容を分かりやすくかつ歯切れよく解説された。 今回の東京ステーションギャラリーにおける「洋画家たちの青春」展開催は「光風会」側の希望が新聞社を介して伝えられ、この辺りの日本美術史に興味を持っておられた館長が受けて立たれたということであった。 「光風会」は、その成り立ちから現在に至るまでアカデミズム側に近い団体であるが、研究や教育への貢献という面で一定の役割を果たして来ていると述べられた。 そして、最後に公募展一般についての問題点について触れられた。「民主主義は万能ではなく独裁よりもましである」というチャーチルの言葉を引用しつつ、入選や表彰を民主的に多数決で決定するような公募団体からは、時代を画するような非凡な才能のアーティストは生まれにくいということを指摘された。 第2席の寺坂公雄理事長の特別講演は光風会の歴史を詳細に述べられたもので、光風会内部の聴衆への説明や回顧談に終始されていたようだった。会場を見まわすと、ほとんどが光風会員と思われる年配の方々であり、「洋画家たちの青春」を語るには聴衆の年齢が高すぎるように思われた。メディアの方はほとんどおられず、美術ブロガーに至っては私一人ではないかと思われた。 パネルディスカッションのテーマは「これからの光風会」ということで、司会者・桑原富一氏の他に8人のパネラー(写真の左の司会者の右から、関根智子氏・大谷喜男氏・寺坂理事長・富田館長・藤森兼明氏・西房浩二氏・桂川幸助氏・今井ひさ子氏)が登壇された。 冨田館長の「団体が大きくなると身動きがとりにくくなり、意識的に個性を育てることが難しくなってくる」というコメントに対し、寺坂理事長は「光風会の従来からの長所である奇をてらわない、品格を大切にしながら、アカデミズムを追及していくことも良いのであるが、一方では冒険するというアンチテーゼも追及して弁証法的に進んでいくのが良いだろう」と応えられた。 さすがに200回目の光風会展には話が及ばず、来年の101回展を成功させようという話でパネルが終わった。 帰途、旧知の富田館長に遭遇したので、エスカレーターで3Fから1Fに下りる間、二人でチャットした。 1Fの「第100回光風展」の出口から写真を撮らせてもらった。アカデミックな作品がいくつか見えている↓。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-04-18 13:04
| 近代日本美術
|
ファン申請 |
||