個人的にはヴィクトリア朝の英国絵画は好きである。ミレイ、ホルマン・ハント、ロセッティを中心とするラファエル前派の作品はこれまでに大分見てきているので、今回はパスしようかと思っていたのだが(【註】参照↓)、ちょうど同時期に
唯美主義展があり、これを先に鑑賞したところ、その前史ともいえるラファエル前派の展覧会をもう一度見たくなり、でかけた次第である。
会場の中に、「ラファエル前派兄弟団宣言」を説明した動画が流れていた。その宣言の4項目は次のようなものである。
1.正真正銘のアイデアを表現すること
2.深い自然観察によって自然の表現法を学ぶこと
3.優れた過去の美術に共感し、因習的な美術を排除すること
4.最重要項目: 質の高い絵画・彫刻を制作すること
以下、章ごとにお気にり作品をあげていく。
第1章 歴史
・ヒューズ《4月の恋》1855-56年:
今回の展覧会のトップバッターはこの画だった。もちろん絵葉書を買ってきた。これはテニスンの詩「水車小屋に娘」に触発された画。人目を忍びながらあずまで逢う二人。石畳にはバラの花びら、樹にはつた、窓の向こうにはリラの花が描かれ、少女のドレスの紫がなんともいえない。ラスキンはこの画に最大の賛辞をおくっていたとのこと。納得!
・ミレイ《
マティルダ王妃の墓あばき》1849年: 再見。ウィリアム征服王の夫人の墓から宝石を盗み出すカルヴァン教徒。
・マドックス・ブラウン《リア王とコーデリア》1849-54年:
戦いから疲れ切って帰ってきた父親のリア王を寝かせたままにしておこうとする娘コーデリアと、リア王を起そうとする指揮棒を振る医師と表の楽隊。
・ブラウン《
エドワード3世の宮廷に参内したチョーサー》1850-53年: 「クスタンス姫の伝説」を読んでいるチョーサーのモデルはロセッティ。玉座に坐るエドワード三世の前には愛人と誕生日を迎えた黒太子が描かれている。この画に関する論考は
こちら。
・ホルマン・ハント《クローディオとイザベラ》1850-53年:
シェークピアの「尺には尺は」より。若い貴族クローディオは婚前交渉で恋人のジュリエットを妊娠させた罪で、ウィーン公爵代理アンジェロから死刑を宣告される。クローディオの妹イザベラはアンジェロに面会し、慈悲を求めたところ、アンジェロは自分と寝るならばクローディオを助けてもよいと持ちかけた。しかしイザベラはこれを拒絶し、刑務所に行ってクローディオに潔く死ぬように説得し、クローディオの必死の頼みを受けつけなかった。
・ミレイ《オフィーリア》1851年頃:
都美とテートとBunkamuraで観ているので、今回が4 回目なのだが、初めてみたような感動である。シェークスピァは「ハムレット」の言葉で、ミレイはこの画でオフィーリアを永遠のものとしている。植物学の勉強になるほどの詳細な描写である。柳の枝に止まっている小鳥を再確認した。また、今回は漱石が「草枕」に書いている情景↓を思い出しながら見た。
女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島まを追懸かけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
・ミレイ《マリアナ》1850年頃:
男に振られて、閉じこもっている女のフラストレーションを表している。腰に手を当てた体位が象徴的。窓から落葉が入り込み、床にはネズミが描かれている。窓の外に住む男を諦めずに待つ室内の女の心情を表しているものなのどろう。
・ミレイ《放免令、1746年》1852-53年:
ラスキンと別れて、1855年にミレイと結婚したエフィーをモデルにした最初の作。裸足の妻は赦免状をイングランド兵に渡している。子供と夫はスコットランドの服装である。
・ヒューズ《聖アグネス祭前夜》1856年:
キーツの詩をテーマにした三連画。左は城に忍びこむポーフィロ、中はポーフィロに気付くベッドの中のマデライン姫。右は酩酊した騎士を踏み越えて城から駆け落ちする二人。マデラインの愛犬がなごりを惜しんでいるかのよう。
・モリス《麗しのイズー》1856-58年:
モリスの唯一の油彩画。アーサー王伝説の「トリスタンとイゾルデ」に登場するアイルランド王女イゾルデ(イズー)が、自分たちの不義の恋の結果、宮廷から追放されることとなったトリスタン(トリストラム)のことを思っている様子が描かれている。右奥に描かれたトリスタンは竪琴を弾きながら唄っている。イズーのベッドの上には犬、髪にはローズマリーの花、ボウルにはオレンジが描かれ、それぞれ忠誠・貞節・豊穣の象徴となっている。イゾルデのモデルはジェイン・バーデンで、この作品が完成した翌1859年に、モリス25歳、ジェーン19歳の二人は結婚した。
第2章 宗教
・ミレイ《両親の家のキリスト(大工の仕事場)》1849年頃:
この象徴的でありながら写実的な宗教画は当時ディッケンスなどから辛辣な批評を受けたとのことだが、身近な人をモデルとして描いたこの聖家族図は現代の目でみるととても親しみやすい。
・ロセッティ《見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)》1849-50年:
美しい作品。壁・衣服・ゆり・鳩の「白」、カーテンの「青」や刺繍台の「赤」はそれぞれ宗教的に意味のある色彩だが、翼を付けていない大天使ガブリエルは挑戦的。といっても光輪を後補したのは妥協であり、PRBの限界を示している。
・マドックス・ブラウン《ペテロの足を洗うキリスト》1852-56年: 絵葉書購入。
・ロセッティ《聖カタリナ》1857年:
右手に車輪、左手に棕櫚を持つ聖女カタリナ。奥では聖セバスチアヌスの画が描かれている。
・ロセッティ《ナザレのマリア》1857年:
スコップを手に持つマリアの傍には聖霊の鳩。栽培しているのは百合(純潔の象徴)とバラ(マリアの象徴)。服装の緑は、春と若さの象徴。この画は、「若さ」・「家族」・「老い」を描いた三連画の一つ。
・ロセッティ《礼拝》1857年: 三連画の中央パネル。降誕図である。
・スコット《大洪水の前夜》1865年:
整然と方舟に乗り込むノアたち、迫りくる黒雲に気付かず堕落した行為を続けているアッシリア宮廷、不浄で食べてはならないコウノトリやチータも描かれている。
第3章 風景
・ダイス《ペグウェル・ベイ、ケント州-1858年10月5日の思い出》1858-60年:
貝殻拾いをする画家の家族が前景に、画家本人の後ろ姿が中景右に、画家が見上げているドナーティ彗星が空に描かれている。博物学や天文学に対する興味が一般人にまで浸透していたという時代背景が見てとれる。
第4章 近代生活
・ミレイ《ジェイムズ・ワイアット・ジュニア夫人と娘のセーラ》1850年:
この画中画には、レオナルドの《最後の晩餐》とラファエロの《小椅子の聖母》・《アルバ家の聖母》。これはラファエロ主義に対するミレイの侮蔑の念を表しているとのこと。
・マドックス・ブラウン《あなたの息子をお抱きになってくださいな》1851年、1856-57年手直し:
画家の子どもを差し出す妻の後ろには光輪のような凸面鏡があり、父親のマドックス・ブラウンが映っている。この子供が早世したため、この画は未完に終わった。
・ホルマン・ハント《良心の目覚め》1853-54年:
囲われ者の女性が良心に目覚めて男の膝から急に立ち上がったところが描かれている。何度も見た画だが、よく見ると見逃していたところがあるのに気付く。例えば、鏡があって、外の様子が映っていることや猫が小鳥をもてあそんでいることなど。
第5章 詩的な生活
・ロセッティ《ダンテの愛》1860年:
これは地上と天国のベアトリーチェを描いた2枚のパネルの中間部に相当する作品で、彼女の死を象徴している。この油彩画は斜めに二分され、此岸はキリストを中心とする太陽の光線が描かれた昼間の世界、彼岸はベアトリーチェを抱く月と星という夜の世界である。未完の作品のため、愛の寓意像の彼女が召される日時を示す日時計の部分が空白のままになっている。
しかし、この画の日時計の部分が空白になっているのは、本当にこれが未完の作品であるためなのだろうか?
その点を疑問に思い、この作品の制作状況を詳細に調べてみたところ、新しい仮説に到達した。これに関する推論は、別記事としてこちらにアップした。
・シダル《
「サー・パトリック・スペンス」より淑女たちの哀歌》1856年: モデルだけでなく画も描いていたのだ。それも結構上手い。
第6章 美
・ミレイ《安息の谷間》1858年:
再見。墓と尼僧という象徴的な画題であるが、静かに迫り来る夕闇と夕焼けの紫色の雲が美しい。唯美主義 の作品である。
・ロセッティ《ベアタ・ベアトリクス》1864-70年頃:
何度も見ている有名作品。ベアトリーチェが此岸から彼岸に召される瞬間である。 ベアトリーチェは至福の状態で恍惚としており、彼女の阿片中毒による死を示す白いポピーをくわえた光輪のある鳩が彼女の死の瞬間を告げ、バルコニーの日時計はその時刻9時を示している。背景上部の右側にはダンテ、中央にヴェッキオ橋、左側には赤い衣服をまとう愛の寓意像が描かれている。モデルは後にロセッティの妻となったシダル。
・ロセッティ《最愛の人(花嫁)》1895-66年: 装飾的な作品。花嫁の衣装は日本の着物の柄。
・ロセッティ《プロセルピナ》1874年:
これも超有名な画で今回のメインビジュアルとなっている。ロセッティが熱い想いを寄せていたモリスの妻ジェーンがモデルである。プロセルピナは、冥界の果物ザクロの一粒を口にしたため、1年の半分を冥界で過ごし、残りの半分を地上で過ごすこととなった。神話の世界を借りて現世の悩みを描いた作品である。
第7章 象徴主義
・バーン=ジョーンズ《愛の神殿》1872年頃:
・バーン=ジョーンズ《『愛』に導かれる巡礼》1896-97年頃:
今回の展覧会のオオトリはこの画。これはチョーサーの「薔薇物語」の一場面で、頭に貝の徴をつけ厚い衣に身を包んだ巡礼者の姿をした詩人は、恋い焦がれるバラを求めて,愛の矢を持ちバラの冠をかぶった有翼の愛の神に導かれて、イバラのしげる荒野を歩いて行く。この巡礼者は画家自身の姿かもしれない。この頃人気が衰えていたバーン=ジョーンズ最晩年の画で、当時これを購入するものがなかったという話も残っている。代りに私がこの絵葉書を買ってきた。
【註】
・ヴィクトリア・アルバート美術館展:大丸ミュージアム 1995.4
・テート・ギャラリー展:東京都美術展 1998.1
・ラファエル前派展: 安田東郷青児美術館 2000.5
・ジョン・エヴァレット・ミレイ展:BUNKAMURA 2008.8
・3人の同姓のヴィクトリア朝画家:「ハント」 2010.2
・ラファエル前派からウィリアム・モリスへ:横須賀美術館 2010.12
・バーン=ジョーンズ展 ①・②・③:三菱一号館美術館 2012.6
美術散歩 管理人 とら