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今までには、1994年12月に玉堂美術館を訪れ、2007年3月に日本橋高島屋で「川合玉堂展」、2008年9月に講談社野間記念館で「川合玉堂とその門下」を見ている。 自分の父親が美術好きで、田舎の家には美術書が沢山あった。その中に近代日本画の三大画家は横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂の三人であると書いた本があった。今回の展示品の中にこの三人の合作《松竹梅》↓が出ていた。 展示は、Ⅰ.研鑽の時代(青年期から壮年期へ)、Ⅱ.玉堂とめぐる日本の原風景、Ⅲ.玉堂のまなざし(1.余技の楽しみ、2.松竹梅、3.動物をいつくしむ)の3 章立てであるが、参考出品の書簡なども興味深かった。 以下、注視した作品を何点か挙げる。最初は、第Ⅰ章の作品。 会場に出ていた玉堂15歳時の《写生画巻 花鳥》は、まさに栴檀は双葉より芳し。有名画家の幼少時の画を見ると驚くほど巧いことが多いが、このような天稟の才は画家として大成するための必要条件に過ぎないのであって十分条件ではない。 《鵜飼 明治28年》: 《二日月 明治40年》: 《瀑布 明治42年頃》: 《紅白梅 大正8年》: 《柳蔭閑話図 大正11年》という朝鮮の人物が二人と鵲を描いた画は初見。印象的な画だった。 《行く春》と《悠紀地方風俗屛風》の小下図が出ていた。前者の本画は近美にあるが、その小下絵には切り貼り細工が多く、苦労の後が偲ばれた。後者の本画(三の丸尚蔵館)は以前に「皇室の名宝」展で拝見している。これは昭和天皇即位後の大嘗祭のために制作を依頼された画であり、小下絵といえども切り貼り細工などはされていなかった。 続いての第Ⅱ章は、すべて山種美術館の作品であるが、似たような感じの画が多かった。コレクター・山崎種二の趣味が影響している可能性もあるが、いかがなものだろうか。 個人的には、以前の《鵜飼》の下半分を強調した《鵜飼 昭和14年頃》↓、穏やかな色彩の《山雨一過 昭和18年》↓↓、波の描写が印象的な《荒海 昭和19年》↓↓↓、山の色の変化で天候の変化を示唆している《遠雷麦秋 昭和27年 》↓↓↓↓などをチェックした。 そういえば、昭和15年の「紀元二千六百年奉祝美術展」では、玉堂は主任委員を務め、有名な《彩雨》を出品している。 戦後は、昭和21年の色紙《文展再開をききて》に「天にやぶれ 地にまみれこし うましくに かきおこすべき 絵筆もつわれは」と書いており、戦争からの立ち上がりが早い。 別室の動物の画もすべて山種美術館の収蔵品であるが、これはコレクターの依頼によるものが多いためか、力を抜いた作品が多かった。例えば、《松上双鶴 昭和17年》↓は、長女が将来、通産省事務次官となる今井善衛に嫁いだ際に祝いの品として山崎種二が玉堂に依頼した絵である。もう一人の娘の結婚相手も将来運輸事務次官に出世されたのであるから、山崎種二は婿選びの目利きでもある。 そのこと自体は大いに評価されるが、一人のコレクターの眼で選別された作品が多いため、回顧展としてはやや偏ったものになっている可能性がある。これは私的な美術館としては止むをえないところであり、しかるべき公的美術館で幅広く出展された大回顧展を待たなければならないのだろう。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-06-19 14:32
| 近代日本美術
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