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これは東京駅北口の東京ステーションギャラリーで「エミール・クラウスとベルギーの印象派」展を見おわってからの「美術散歩」の記事である。
連絡通路で八重洲口に抜け、さくら通りを東に向かって歩いて行くと、日本橋丸善と高島屋の角に出る。ここで丸善の3Fで「没後40年記念 ピカソとパリを愛した作家たち展」(6月18日まで)が開かれていることに気付いたので、ちょっと覗いてみた。 次は、向かい側の高島屋8Fホールで開かれている「生誕130年 ユトリロ展」である。 ・ユトリロ展@大丸ミュージアム(1992.9)これらによって形成された私のユトリロに対するイメージは ① アルコール依存症により入退院を繰り返した自己管理のできない画家といったネガティブなものが多いのだが、なぜかユトリロ展があると聞くと、自然とそちらに自分の足が向くし、私以外の日本人にもユトリロ愛好者が少なくないらしく、ユトリト展はいつも混んでいる。 この展覧会は、そのような次第で、いつものように期待度は低かったのだが、実際に見てみるとそれなりに楽しめた。まことに不思議である。 まずは、会場に置いてあった図録で中村隆夫多摩美術大学教授の「魂の画家ユトリロの真実」という論考を通読し、今回の展覧会監修者の立ち位置を確認した。氏の論考は以下の7章からなっていたが、それぞれの概略はパネルとして会場にも掲示されていた。 1.魅惑のモンマルトル、そしてユトリロ中村氏はユトリロの制作年代を、①モンマニーの時代、②白の時代、③色彩の時代、④晩年に4大別しておられたので、以下はこれに添って話を進める。 チラシ↑は《モンマルトルのキャバレー、ラパン・アジル》。1916‐18年頃の「色彩の時代」の作品である。「白の時代」の画には窓を閉め切った建物が多いが、この画では窓が開いている。画家の気持ちがやや明るくなっていることの反映なのだろう。彼は生涯にわたり400枚以上ラパン・アジルを描いているとのことで、今回も他の画が出ていた。しかしラパン・アジルのような賑やかな場所を描いてもユトリロの画は静かである。 Ⅰ.モンマニーの時代(1903‐07年) 《モンマニーの三本の通り》1908年↓は、初期の作品で、色彩は使われているが、何となく泥臭く、後年の「色彩の時代」の透明感がない。しかしこの頃の画も人のいない淋しい状景である。 Ⅱ.白の時代(1908‐14年頃) 《小さな聖体拝受者》↓は1912年頃の制作とのことだから、典型的な「白の時代」の作品である。 Ⅲ.色彩の時代(1915頃‐35) 《レストラン「コンスュラ・ド・ヴェルニュ」 雪のノルヴァン通り、モンマルトル》↓は「色彩の時代」の作品なので、ほとんどの窓が開いていることに留意。 Ⅳ.晩年(1936‐55年) ユトリロは、後に再婚相手となるリュシー・ヴァロールと知り合った頃から花の絵を描き始めている。 最後に「わたしは狂ってなんかいない」というタイトルの動画を見せてもらった。彼の人生を追体験する淋しい映像だった。日本人が、別してユトリロ好きであると云われるのは、彼の人生の「侘」しさ・「寂」しさに対する共感なのだろうか、あるいは判官贔屓に通じる同情心なのだろうか。 会場の外には、ユトリロの色彩の時代の複製画が売られていた。こちらは丸善のオリジナルの版画よりも安かったが、それでもちょっとした価格である。オリジナルの画を購入する人は資産価値を考え、本当の美術好きは複製画で我慢するということなのであろうが、現況では、いずれも経済的に余裕のある一部の層に限られている。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-06-16 15:12
| 印象派後期
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