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「スラヴ叙事詩」概説その1の続き。
11.《ヴィトコフの戦闘の後》: 神が示されるのは真理(歴史1420年)(制作1916) 1419年8月、ボヘミア王ウェンセスラス四世の逝去に伴い、弟のハンガリー王ジグムントが後を継いだ。しかし、ヤン・フスの死に責任があると考えたチェコの民衆は、ジグムントの戴冠を拒んだ。カトリック教会とドイツ軍の応援を得たジグムントは、フス派に対して十字軍を発進させ、占領したプラハ城で戴冠式を行った。 1420年7月、フス派とジグモントはプラハ郊外のヴィトコフで対峙した。ヤン・ジシュカの指揮下にあったフス派軍は、プラハのチェコ軍の応援を得た。前方からのフス派軍は、後方からのチェコ軍とともに、ジグモント軍を攻め破り、ジグモントの退位を勝ち取った。 ミュシャは、プラハのチェコの軍人たちに対する厳粛なミサの状景を劇的に描いている。聖体顕示台を捧げ持った司祭は、ひれ伏す聖職者たちに囲まれている。昇りくる太陽が放つ天空からの光は、勝利の指揮者ジシュカの身体を照らし、ジシュカの足元には敗軍の武器が並べられている。 左下部に描かれた母子は、この宗教儀式の背を向けている。これは、継続するフス戦争において更なる流血の惨事が起こることを予言しているのである。 12.《ヴォドナーニのペトル・ヘルチッキー》: 悪を持って悪に報いるな(歴史1430年頃)(制作1918) ヘルチッキーのペトルは、ボヘミアの平和主義思想家で、宗教の名における戦争や軍事行動に強く反対していた。ミュシャは、ヘルチッキーの思想に共鳴し、画の中にフス戦争の邪悪な面、すなわち無辜の犠牲者たちを描き込んだ。 ヴォドナーニ村では、繰り返すフス派の攻撃によって犠牲者が増え、住民は家を捨てて、傷ついた者や死体とともに、近隣の町ヘルチッキーに逃れた。 画には、フス派に対する悲しみと怒りに打ちひしがれ、犠牲者の死体や持ち出してきた僅かの財産の周りに集まった住民たちの姿が描かれている。右手に聖書を持った画面中央のペトル・ヘルチッキーは、犠牲者には悔やみの言葉をかけ、残った者には復讐に走らないよう懇願している。 13.《フス教徒の国王イジー・ポジェブラディ》: 条約は守られるべし(歴史1462年) (制作1923) イジー王は、1462年、彼自身の選出とバーゼル盟約でウトラキスト教会に与えられていた宗教的特権を確認するために、ローマへ代表団を派遣した。これに対し、法王ピウス二世は、この盟約を拒絶し、さらに自身の枢機卿の一人をプラハに送り、イジー王に対してウトラキスト教会を破門し、ボヘミア王国をローマの支配下に戻すよう命令した。 この画では、ミュシャは、ファンチン枢機卿のプラハ訪問とイジー王との対決の場面を描いている。赤い法衣を着けた枢機卿は尊大に立っており、イジー王は怒りと反抗心を露わにして王冠を足蹴にしている。このように王が法王の権威を認めないことを、宮廷の人々は畏敬と驚きで迎えた。前景の若者が「ローマ」という題名の本を閉じているのは、ローマとの協調関係が終結したことを意味している。 14.《クロアチア総督ミクラージュ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの防衛》: キリスト教世界の盾となり(歴史1566年)(制作1914) 19日間の攻撃によってトルコ軍がこの要塞を破った際に、ズリンスキー総督は降伏することを拒み、自軍をなんとか市外に出そうと努力を重ねたが、結局、総督とその部下たちは残忍な暴行によって殺害されることのなった。 この時、ズリンスキーの妻エヴァは城壁に火を点けて、トルコ軍のさらなる進軍を阻んだ。ミュシャの画は、エヴァが、自国をトルコから守るために、城壁内に残っている多くの市民を犠牲にするという決断を下した瞬間を描いている。 彼女が燃える松明を投げた場所から、柱状の黒煙が立ち上っている。その左には最終攻撃の準備をしている男たちが、右にはトルコ兵から逃げようとしている女性たちが描かれている。 15.《イヴァンチツェでの聖書の印刷》》: 神は御言葉を賜られた(歴史1578年)(制作1914) ボヘミアのイヴァンチツェはミュシャが生れた町であるが、同胞団の学者たちは新約聖書のチェコ語への翻訳を行っていた。これは後に「クラリッス聖書」と呼ばれるように、近くの町クラリッスで印刷された。この聖書の印刷は、チェコにおける国への帰属意識の象徴となり、チェコ語が生き続けていくために重要な役割を果たした。 ミュシャは、日の当たる秋の日のイヴァンチツェの町を描いている。勤勉な同胞団員は印刷機の周りに集まって、聖書の最初の印刷ページをチェックしている。 前景に描かれた若い学生は、年老いた男に読み聞かせている。老人の厳しい表情は、迫りくる迫害によって同胞団がやむなく国の解放に立ち上がることを予告している。 16.《コメンスキーの死》: かすかな希望(歴史1670年頃) (制作1918) 神聖ローマ帝国皇帝フェルディナンド二世は、1619年、ボヘミア王となった。彼は、プロテスタントが優勢な地域において、ローマカトリック教会の復権をめざして反乱をあおっていたが、これが1620年のプラハ近くで起こった「白山の戦い」に進展した。 信教の自由を守ろうとする3万人のボヘミア人は、2万5千人の皇帝軍に押しつぶされてしまい、その結果、反乱に加担した27人の貴族は処刑され、プロテスタントは3日以内にカトリックに改宗するか、ボヘミアを離れるかのいずれかを選ぶよう命じられた。 宗教亡命者ヤン・アモス・コメンスキーは、ボヘミア同胞団の精神的指導者の一人だった。彼は、教育こそ真の信仰の鍵であると考えており、彼の革新的な教育方法はヨーロッパ全域で評判が高かった。 コメンスキーはオランダのナールデンで人生最後の年を過ごし、毎日海岸を散歩していたが、自分の死期が迫っていることを感じて、海岸に椅子を持ってきて自分を坐らせてくれるように頼んだ。 ミュシャの画は灰色と青色がかっており、コメンスキーの異国の浜辺での孤独死というメランコリックな情景を表現している。悲嘆にくれる信奉者たちは、椅子に坐ったまま死んでいるコメンスキーを無視して互いに慰め合っている。明滅する小さなカンテラだけが、いつの日か亡命者たちが故国ボヘミアへ帰ることができるというかすかな希望となっている。 17.《聖アトス山》: 最古の正教信仰の砦(歴史1890年代)(制作1926) このミュシャの画では、ロシアの巡礼者が半円をなして、4人の高位の司祭に向かって歩を進めている。それぞれの司祭は巡礼者が抱きしめる遺物を手にしている。一陣の光線が後陣を透って左から射しこみ、天使たちの身体を照らしている。そのうちの4人の天使はアトス山領域のスラヴ修道院のモデルを持っている。天井に描かれたマリアは、天使たちとは異なる地上のものである。 前景には、若い男が盲目の老人に肩を貸している。 18.《スラヴ菩提樹の下で宣誓するオムランディーナの若者たち》: スラヴ民族の再興をめざして(歴史1870年代)(制作1926) 「オムランディーナ」とは、1870年代にチェコの若者によって創られた愛国主義団体で、反オーストリアかつ反教権主義的な傾向を有していて、世紀末における愛国主義復活の原動力となっていた。このため、1904年、その指導者たちは逮捕されて、裁判にかけられ、服役させられた。 ミュシャは、予言の象徴である菩提樹を背にした女神スラヴィアに対して忠誠を誓う若者たちが円陣を組んで跪き両手を上げている状景を描いている。若者たちは愛国的な政治団体のメンバーに囲まれ、チェコの民族衣装を着けた人たちが坐っている。 前景の壁の両側に描かれた男女は、ミュシャの子供のヤロスーヴァとジリ.がモデルとなっている。少女は竪琴を奏でており、少年は、母親の後ろに坐って音楽に耳を傾けている。 19.《ロシアにおける農奴制廃止》: 自由な信仰は国家の礎(歴史1861年)(制作1914) 1855年に帝位に就いたアレクサンダー2世は改革を進め、1961年には農奴解放令を発しているが、ミュシャは、これもひどく時宜を失した措置と感じている。 この改革がどの程度の効果を上げるかは誰にも分かっていない状況下で、ミュシャが描いたロシア農民の物静かな群衆の顔つきは、勅令を読む官僚と同様に不安げである。 背景に描かれた聖バジル大聖堂やクレムリンは、当時の不確定な状況を暗示する厚い霧のとばりを通してかすかに見えている。遠くの太陽は雲を通してわずかにのぞいており、明るい未来へのわずかな希望を表している。 ミュシャは、この画においても、前景に描いた母子によって次代の恐れと望みを表現している。 20.《究極のスラヴ民族》: 人類のためのスラヴ民族(歴史1918年)(制作1926) 画は4部で構成され、それぞれが異なる色彩で特徴づけられたスラヴ史における一時期を表している。 右下の青はスラヴ史初期、上部の赤は中世のフス戦争の流血、その下方の影の中の人物は繰り返しスラヴ部族を攻撃した敵を表し、中央の黄色の帯はチェコとスロヴァキアの軍人の第1次世界大戦から帰還、すなわちオーストリア・ハンガリー帝国の崩壊とスラヴ民族の新しい時代の夜明けを表している。 少年たちは軍人たちに緑の枝を捧げている。画の中心に大きく描かれた裸の人物は、後方のキリストに護られた新しく強く独立した国家の化身である。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-03-24 22:22
| 国外アート
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