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このことについては、ブログの書評・司 修 著 「戦争と美術」を書いたことがあるが、その本では、松本竣介を「戦争画とは一線を画した画家」に位置付けていたように記憶している。 昭和10年代は戦争の時代であり、軍部はこの時代を完全に掌握していた。「すべての画家が一人の国民として国の為、戦争に協力せよ」という軍部の要請は絶対的なものだった。 これに対して抵抗の姿勢を示すのは並大抵のことではなかった。絵具の配給を止められる程度ならまだしも、下手をすれば我身を危険に晒すという覚悟が必要だった。 藤田嗣治や中村研一など戦争記録画制作に積極的に参加した者もいたが、靉光のように「戦争画は描けん」と言って兵隊として戦場に送られた者もいた。 松本竣介はこの際どのような態度をとったのだろうか。 かつて松本竣介には「反戦・抵抗・民主の画家」などのレッテルが張られていた。 その一番の論拠となったのが雑誌「みずゑ」昭和16年4月号に発表した「生きてゐる画家」という文章である。 今回の展覧会にもこの雑誌が出ていたが、字が小さくてとても読めなかった。幸い図録にこの全文が掲載されていたので読んでみた。 この文章は同年1月号に掲載された軍人・鈴木庫三少佐や批評家・荒木季夫などによる座談会記事「国防国家と美術ー画家は何をなすべきか」を受けて書かれたものであり、彼が考える画家の社会に対する基本的態度を示したものである。 その文は、「沈黙の賢さといふことを、本誌一月号所載の座談会記事を読んだ多くの画家は感じたと思ふ。(中略) 今、沈黙することは賢い、けれど今ただ沈黙することが凡てに於いて正しい、のではないと信じる」という切り口上で始まっている。 慎重に言葉を選んでの文章なので、軍部に対して正面から異義を唱えたと解釈出来る可能性のある部分は、意図的にその真意をつかむことが難しい文章としている。 しかし、このように「個人の考えを申し述べる」という当時としては非常に勇気を必要とする行動によって、彼には「抵抗の画家」というレッテルが張られてしまったのである。 さらに昭和17年に描かれた《立てる像》が、「時代に対し明確な抵抗の姿勢として、大地を踏みしめ立っている」という誤った解釈が、そのレッテルを明確にさせることとなった。 また戦時下の厳しい状況に屈する事なく、ぎりぎり昭和19年9月まで開催されたていた新人画会の展覧会活動や戦後の「全日本美術家に諮る」(美術家組合結成の呼びかけ文)も彼の思想を示す根拠として使われた。 一方ではこのレッテルを積極的に否定する事実も見つかっている。 例えば、昭和16年に二科九室会「航空美術展示会」(銀座三越)に出品された油彩画《航空兵群》↓を制作していたことがあげられる。 さらには、終戦直後に息子に宛てた手紙に書かれた「ニッポン ワ アメリカ ニ マケタ カンボー シッカリシテ 大キク ナッテ アメリカ ニ カッテクレ」という文章などもそれに相当すると考えられている。 戦争画家責任に関する戦後の「節操論争」の中で、松本竣介は「藤田、鶴田両先生は、軍国主義者ではないといふことをしきりに弁解して居られるが、(中略) 僕なんかは日本の芸術家はカメレオンの変種なのではないかと思はれることが何よりも淋しい。戦争画は非芸術的だと言ふことは勿論あり得ないのだから、体験もあり、資料も豊かであらう貴方達は、続けて戦争画を描かれたらいいではないか、アメリカ人も日本人も共に感激させる位芸術的に成功した戦争絵画をつくることだ」と述べたことも、「抵抗の画家」というレッテルを張り直させたのかもしれない。 もちろん、その作品だけに注目して、松本竣介を「反戦抵抗の画家」か「ヒューマニズムの画家」かという二者択一を迫る議論は論理的矛盾の危険性をはらんでいる。 しかし敢えて言えば、昭和16年以降の松本竣介の画の特徴としてあげられるのは、自身の聴力障害による兵役免除や友人・靉光らの召集・戦死などに起因した「孤独感」だったような気がする。 ゴーストタウン化した町並み中に描かれている影のような点景人物はこの孤独感の象徴なのではあるまいか。 彼が描いたこのような情景は「人間性の喪失」と呼ばれることもあるが、制作された画がそのような社会性を持つレベルにまで昇華していたとしても、それはあくまで結果なのであって、それを目的として描かれたものではないのであろう。 美術散歩 管理人 とら 【追記】 本稿をアップしてから、下記の詳細な論文の存在に気付いた。 種倉紀昭:松本竣介における表現の自由についてー絵画鑑賞教育に関連して.岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター紀要.7:77-95, 1997
by cardiacsurgery
| 2012-12-15 22:00
| 国内アート
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