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松本竣介の代表的な画は今までかなり見てきた。自分のHPやブログに載っているものだけでも、下記のようである。
1. 《白い建物》 @宮城県立美術館 1992.4 2. 《自画像》、《青の風景》、《盛岡風景》、《有楽町付近》、《序説》、《Y市の橋》、《岩手山》 @岩手県立美術館 2006/4 3.《立てる像》 @世田谷美術館 2006/10 4.《街》、《ニコライ堂》、《運河風景》、《建物》 @大川美術館 2006/11 5.《Y市の橋》 @東京国立近代美術館 2006/12 6.《お堀端》 @横須賀美術館 2007/8 7.《並木道》、《裸婦》 @東京国立近代美術館 2011/7 今回のこの回顧展に出かけた第一の理由は、もちろんこの画家の全貌を知るためである。この第1報ではそのことについて簡単に書いてみたい。 第1章 前期〔1927年~1941年頃〕 1-1 初期作品/1-2 都会:黒い線/1-3 郊外:蒼い面/1-4 街と人:モンタージュ/1-5 構図 この章のお気に入りは、以下である。 ・中学時代(1928年)に描いた穏やかな《初秋の頃》岩手県美蔵。既にセザンヌ的である。 ・ルオーのように太い黒線の目立つ二科展入選作の《建物》1935年、神奈川県美蔵。しかしその素描の線は繊細である。 ・透明感のある緑と青の美しい《郊外》1937年、↑左・宮城県美蔵。ここにも極細の線が見られるが、《青の風景》1940年、岩手県美蔵では、この線はなく、色面だけとなっている。 ・野田英夫の影響がみられるモンタージュ作品の《街》1938年、大川美蔵や《序説》1939年、岩手県美蔵。これらは賑やか都市の雑踏を描いたもので、再び繊細な線描が取り込まれている。 ・青い背景の《黒い花》1940年、↑中・個人蔵、赤い背景の《黒い花》岩手県美蔵。音を失っていた松本竣介は、色彩によって音を表現したのだろうか。例えば、「静けさ=青、賑やかさ=赤」といったように。 ・《都会》1940年、↑右・大原美蔵。人物と建物が混然一体となった静かな情景。繊細な線と青を基調とし、わずかな赤がアクセントとなっている。 第2章 後期:人物〔1940年頃~1948年〕 2-1 自画像/2-2 画家の像/2-3 女性像/2-4 顔習作/2-5 少年像/2-6 童画 ・家族とともに描かれた《画家の像》1941年、↓・宮城県美蔵。松本竣介は家族を愛し、また家族から愛された画家だった。この画からは、この非常時に家族を守らなければならないという竣介の覚悟が見てとれる。 ・1943年に、人生の三時期の男性を描いた《三人》個人蔵とその対作品である家族を描いた《五人》個人蔵。これも前者が自分個人、後者が家族の一員としての自分を描いたものだろう。 ・1942-43年に、《少女》と題した素描がいくつか出ていたが、その細い輪郭線や人形のような顔立ちは藤田嗣治の画を想起させる。 ・モディリアーニ的な《黒いコート》1942年、↑中・個人蔵。ここにも繊細な描線が使われている。 ・指が気になる《水を飲む子ども》1943年、↑右・岩手県美蔵。後天性の聴覚障害者だった松本竣介は指で筆談できたという。この子の指は、「冷たい!」と叫んでいるのだろうか。 ・童画《せみ》は息子の描いた素描をもとに松本竣介が油彩にしたもの。これは1948年の作。 第3章 後期:風景〔1940年頃~1947年〕 3-1 市街風景/3-2 建物/3-3 街路/3-4 運河/3-5 鉄橋付近/3-6 工場/3-7 Y市の橋/3-8 ニコライ堂/3-9 焼跡 ・《白い建物》1941年頃、↑左・宮城県美蔵。人影すらない「無音の風景」。描線は細い。 ・《議事堂のある風景》1942年、岩手県美蔵。議事堂は中央には描かれておらず、曲がった道を荷車を引く男が淋しく描かれている。暗いですね。 ・《ごみ捨て場付近》1942年、↑中・個人蔵。ここには犬を散歩させる男の後姿と荷馬車を引く男の後姿が描きこまれているが、あたりは静寂で寂しい。これは素描で、《風景》1942年、↑右・個人蔵は、上記の油彩画。 ・《Y市の橋》1943年、東近美蔵↑↑左・岩手県美蔵(1942年)・個人蔵(1944年頃)・京近美蔵↑右(爆撃後、1946年)。 ・白の時代のユトリロを思わせる《ニコライ堂》、1941年、広島県美蔵 ・青い《郊外(焼跡風景)》1946-47年、岩手県美蔵 ・茶色の《神田付近》1946-47年、個人蔵 ・薄茶ないしバラ色の焼跡《神田付近》1946-47年、個人蔵。 第4章 展開期〔1946年~1948年〕 4-1 人物像:褐色に黒/4-2 新たな造形へ ・太目の黒線の目立つ《ランプ》1948年、↑左・個人蔵 ・堅固な構図の《建物(青)》1948年5月、↑中・大川美蔵 ・最終作と考えられている《彫刻と女》1948年5月、↑右・福岡市美術館蔵 松本竣介は1948年、36歳という若さで夭折した。死因は気管支喘息による心臓衰弱ということになっているが、その基礎疾患は肺結核だったようである。 このように、エコールドパリ的な画から出発し、戦争中はその画風を変えつつ戦後を迎えた松本竣介は、一時キュビスムなとの影響もうけたが、ようやく堅牢な描線を持ったオリジナルの画風に到達した。 その夭折を惜しむ向きが多いが、良い家族に恵まれて、現在もこのように全国を巡る生誕100年記念展で広く周知されてつつあるる松本竣介という画家は、結局は幸せな男だったのではあるまいか。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-12-14 22:16
| 国内アート
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