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著者の多田茂治氏から、「松本英一郎画伯の評伝」が恵送されてきたので、早速読んでみた。
本の紹介の前に、多田氏と筆者との不思議な出会いについて、いささか触れておきたい。 このことについては、以前のブログ記事「没後30年 高島野十郎展」の一部を引用するのが早道である。 会場入口のミュージアム・ショップのカタログの横に、「野十郎の炎」という本が積んであったので、ちょっと覗いてみた。そしてカタログのほうに戻っていると、一人の老紳士が先ほどの本を買っておられた。不思議なことにこの方は「これは自分が書いた本なんですがね」といわれる。ショップの係りも驚いて「よろしいんですか?」と聞きながらレシートを渡している。このことがご縁になって、その後、いくつかのブログ記事を書いている。①高島野十郎のシュールな世界、②青柳喜兵衛‐玉葱の画家、③母への遺書―沖縄特攻 林市造、④「野十郎の炎」増補新版。したがって今回の記事は最初の出会いの記事を含めると6本目ということになる。 さて、今回の本のことである。これを読まれる美術ブロガーの面々にお伺いしたい。「松本英一郎の画を見たことがありますか?」 正直言って、私としては初めて聞いた名前の画家である。 そこで松本英一郎の略歴から始めることとする。 ・1932年: 久留米市で出生 ・1945年: 福岡県立中学明善校(学制改革で明善高校)入学、美術部所属 ・1953年: 2年間浪人後、東京芸大油絵科に入学。指導教官は林武 ・1957年: 東京芸大卒業、3年連続で独立賞受賞 ・1961年: 都立駒場高校美術教諭、結婚 ・1968年: 多摩美大講師 ・1972年: 多摩美大助教授 ・1978年: 肥大型心筋症発症 ・1983年: 多摩美大教授 ・1993年: 脳梗塞 ・1999年: 左片麻痺 ・2001年: 永眠、享年68歳 本書は、7章で構成されているが、著者の多田氏が高島野十郎や松本英一郎と同じ「久留米・明善校」の出身なので、そううちの2章は久留米出身の洋画家のことや明善高校美術部といった背景の説明にかなりの紙数が割かれている。 「筑後・明善校」出身の洋画家は多士済々で、青木繁・坂本繁二郎・古賀春江・高島野十郎・松本英一郎・清田英作などの名前をあげられるが、いずれも筑後平野の保守性と泥臭さを有しており、「じゅうげもん」(へそ曲りの頑固者)である。この点は、海に近い「筑前・修猷館」出身の吉田博・和田三造・児島善三郎・中村研一・中村琢二らの開放的な明るさとは対照的である。 松本英一郎の画歴をみると、初期には抽象表現主義絵画《二尺の誤差を持つ進行》などを描いていたが、1965‐70年には高度成長期の幔幕をテーマにした「平均的肥満シリーズ」、1971年からは15年間の長期にわたって独自の「退屈な風景シリーズ」を描き続け、1978年の心臓検査の際に、造影剤で全身が熱くなり、ピンク色の世界を体験し、さらに病室の窓から満開のサクラを見たことをきっかけに「さくら・うしシリーズ」を15年間描き続けた。 英一郎はコンスタブルの《オールド・セーラム》、フェルメールの《デルフトの眺望》、ヤコブ・ロイスダールの《ハールレムの遠望》といった空を強調した風景画が好きだったらしい。英一郎の「退屈な風景画シリーズ」にもこれらの先人が好んだコバルト色の空のある風景が描きつづけられている。 評伝の著者多田氏は、松本英一郎の「地球が壊れていく時代には、変わりない平明な風景が意味を持つようになる」という文章を引用して、「高度経済成長期においてなされた自然破壊や原発推進といった愚行が、東日本大震災によって反省させられている現在において、英一郎の画は今日的な意味を持っている」というように断じておられるが、まことにもって同感である。 「さくら・うしシリーズ」について、私の個人的な感想を述べれば、これらの作品たちからは静かな音楽が聞こえてきそうな気がする。クレーの画を想起させるところがある。夫人が音大卒で、一緒に音楽会にも出かけておられたことと関係があるかもしれない。 思うに、英一郎は非常に幸せな人生を送ったのではあるまいか。「うり絵」は描かないという「じゅうげもん」精神を貫けたのも、大学教員としての安定した収入があり、家族の非常に強い支えに恵まれていたからである。その点では、野十郎の人生とは対極的だったというべきではないだろうか。 美術の大学教員は定年後も作品の収入があるという強みがあるが、英一郎の場合には「うり絵」を描くつもりはさらさらなかったのであるから、定年前に人生を終えたこともまんざら不幸だったとは言えないのかもしれない。 このように書いてはきたものの、松本英一郎の作品の実見していないことが気になってきた。よく出かけている東京都現代美術館や府中市美術館で松本英一郎の画に邂逅した際には、かならず本書を思い出すことになるであろう。 ご一読をお勧めする。出版社は弦書房、発行日は2012年2月25日である。 美術散歩 管理人 とら ©2012 reserved by TORA
by cardiacsurgery
| 2012-02-29 14:56
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