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今年はチョット寒すぎる。こうなると「美術散歩」変じて「美術番組鑑賞」となる。BUNKAMURAの「フェルメールからのラブレター展」は行ってきたが(記事はこちら)、銀座でのフェルメール原寸大デジタル画像展への自分の足がフリーズしている。
というわけで、昨晩の「美の巨人たち」のメモ。 フェルメールはオランダ黄金期を代表する巨匠だが、資料が少なく、自画像もない。また、現存する作品も30数枚だけ。 ここで「フェルメール愛好会」の副会長と名乗る若者が登場。さらに、「芸術家・写真家・デザイナー・センター銀座」には作品37点の原寸大画像が展示されているというPR。 フェルメールの手紙をモチーフとした作品は多く、6点もある。「フェルメール愛好会副会長」に対する第1の質問: 手紙をモチーフとした作品が多いのはなぜか? フェルメールは、1632年、デルフトで生まれ、亡くなるまで同じ街で過ごし、風俗画を描いた。その日常の中で新たに見つけたモチーフが手紙だった。 17世紀、オランダは7つの海を制覇。世界的な金融、商業の中心地として発展した。その中で近代的な郵便制度が生まれた。手紙の文例集(季節の挨拶文・支払い猶予願い・交際相手への断り文・結婚相手を決めるときの文など)まで販売されていた。ここで《手紙を書く女》のまっすぐな視線、《手紙を書く女と召使い》の封蝋と投げ捨てた手紙と今回の《手紙を読む青衣の女》が相手からの手紙を引き寄せて熱心に読みふける姿が紹介された。 フェルメール愛好会副会長に対する第2の質問:女性が読んでいる手紙の内容は? フェルメールは、画の中にそのヒントをちりばめている。ブランカート博士は、①背景の17世紀北オランダ地図に注目し、愛する人が遠くにいることを表している。②椅子が2脚あり、1脚が閉じられていることから、愛しい人の不在を表していると解説した。 机の上の首飾りはお出かけの準備中だったととを表しているが、女性はそれをそっちのけにして、手紙に読みふけっている。その内容は「嬉しい知らせ」なのだろう。 第3の質問:この女性の服の鮮やかな青の意味は? 女性が着ている服の青は「ラピスラズリ」を原料とした顔料ウルトラマリン・ブルーで、金と同じくらい高価なもの。国立アムステルダム美術館長のローキン氏は「フェルメールには貿易で富を得た顧客がいて、高価なブルーもふんだんに使えた」と話していた。 実際に、手紙をテーマとした6枚の画のうちラピスラズリが使われているのはこの《手紙を読む青衣の女》1枚だけである。フェルメールはこの女性にある人物を重ねあわせていた。 この女性に、目を奪われたのはゴッホだった。ゴッホはこの女性について「とても美しい身重のオランダ婦人」と書き残している。 ローキン氏は、この女性はフェルメールの妻カタリーナとも考えられていると話す。彼女は14人もの子供を身ごもっていた。すなわち、大概妊娠していたともいえる。 フェルメールが妻を青で包んだのは、ラピスラズリが古代より幸福をもたらすといわれていた。フェルメールは我が子を宿した妻、やがて生まれてくる我が子の幸福を願っていた。この静かな画には、愛する家族への想いと祈りが込められている。 そうなるとこの画の高価なラピスラズリのスポンサーあるいは最初の所有者は誰だったのだろうか。今回の放送のように、家族のための画だったとすれば、フェルメールは自分の妻に贈っていたとしてもおかしくないのだが、どうもそういう証拠はないようだ。 BUNKAMURAの展覧会図録には、この画は1663-64年頃に描かれたものであるが、1712年のアムステルダムのPieter van der Lip sale に出ていたらしいということが記載されているのみで、家族が所蔵していたという示唆はない。 一方、「フェルメール展ー光の天才とデルフトの巨匠たち」展のカタログに載っているピ-ター・サットン氏の論説「フェルメールとデルフト・スタイル」を参照すると、《手紙を書く女と召使》の場合には、画家没年の翌年の1676年に画家の寡婦カタリーナが所蔵していたが、パン屋のヘンドリック・ファン・バイテンに600ギルダーという莫大なパン代の借金にあてるために、引き渡されたという。 さらに、この論説では「《絵画芸術》はカタリーナが死にもの狂いで債権者から守ろうとしたが、無駄だった」と書いているが、《手紙を読む青衣の女》の行方については記載がない。 そうなると《手紙を読む青衣の女》は、ローキン氏のいう「貿易で富を得た顧客」の手に渡っていたのではないかという気がしてくる。 もちろんこれによってモデルが妻であるという仮説が否定されるものではないが、この画については、まだまだ研究すべき余地があると思われる。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-02-12 12:07
| バロック
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