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16年ぶりの公開の有名なコレクションということで前期を見たが、玉石混交なので図録を買うだけにして中期はパスした。中期のブログの中には展示方法について酷評しているものもあったので、後期に入ってもう一度確認することにした。
入ってすぐの「展示室1」にプロローグとして並べられている師宣の《吉原の躰》の食べ物はなかなか面白いのだが、無彩色なので迫力がない。春信の《風俗四季仙》は今回だいぶ沢山見ることができたのでこれは一つの収穫だった。春信の《双六のけんか》↓の若草色も良い。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「展示室4」のお気に入りは、石川豊信の《水鶏にだまされて》←、「きめだし技法」のみられる鈴木春信の《白象と唐子》、勝川春英の《金時の辻宝引》→。「展示室5」では、歌川国芳の《名画六枚屏風》↓、英松屋長喜の《難波屋店先》。 「展示室6」は北斎の見慣れた続物。「展示室7」の歌川広重の作品は見慣れたものが多いが、藍が美しい。今回は月岡芳年に素晴らしいものが多かった。お気に入りは《五条橋》と《平維茂戸隠山鬼女退治之図》↓↓。 (結 論) 1.高橋誠一郎コレクションの中には保存状態の素晴らしく良いものが含まれている。写楽が超Aクラス、春信、広重、芳年もほとんどがAクラス。 2.最近海外から素晴らしい保存状態の浮世絵がたくさん里帰りしたが、これと肩を並べられる保存状態のものは他の作者ものでは半数程度である。3期に分けて出展したので、このコレクションの限界も分かってしまった。清長にはBクラスの状態ものが多かったし、虫食い・折れ線つきの歌麿などは見たくもなかった。 3.展示方法に改善の余地あり。展示室1・2以外はガラスと絵の距離が遠く、単眼鏡を使ってもよく見えないため、ガラスに頭をぶつけている人が多かった。また、キャプションや図録の説明が不十分であきれてしまった。16年ぶりの展覧会なのにガラスキ状態なのも当然である。次回、16年後に公開する時にはもうちょっとましな展覧会としてもらいたい。これでは高橋氏がお気の毒である。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
1年がかりでコツコツと翻訳を続けていた訳書が本日「南江堂」から出版された(B5版302ページ、本体2500円、ISBN978-4-524-26024-9)。
表紙は古代エジプトの手術道具(コム・オンボ神殿のレリーフ)↓。 ![]() 比較的最近「医者は社会的常識が欠如しており、ものすごく価値観が違う」と発言して話題をまいた政治家がおられたが、確かに「医者の常識は世間の非常識」という相互理解の不十分さが残っていることも事実である。 本書を読んで、有史以来の外科医の常識とはこういうものだということを認識していただければ幸いである。 いくつか例を挙げてみる。 〇極端な病気には、極端な治療法が適切である。(Hippocrates, 460-377BC) 〇「無原罪の御宿り」を信じる人は、すべてのことを信じる。(Friedrich C Lang) 〇医師が、受傷者をメスで治療した結果死なせたら、その医師の手を切断すべし。(Hammurabi's code, ~2000BC) 〇私は一生医者と弁護士と女性を信じない。彼らはいんちきで詐欺師である。(Anton Chekhov, 1860-1904) 〇患者は聞くよりも話したがる。(Theodor Billroth, 1829-1894) 〇私が暗殺を始める時には、この町の外科医を最初にしとめて下水道に投げ込む。(Dylan Thomas, 1914-1953) 〇ソ連における大学生のジョーク: 楽天主義者は英語を学び、悲観主義者は中国語を学び、現実主義者はカラシニコフ銃を学ぶ。(Viatcheslav Ryndine) 〇わたしの手術をする外科医も共和党員がよい。(Ronald Reagan) 美術散歩 管理人 とら
山口さんは桐生の出身だったのですね。課外授業の対象は桐生市立昭和小学校の6年生。
「昭和」という校名自体も古くなってますね。まず初日、緊張気味の山口さんが出身校に入っていく。 ![]() ![]() ![]() まず教室内で古いものを探させ、次に市内に出て古いものが沢山残っていることを確認させ、家庭の祖父母に昔のことを聞きだして、自分でこのように時間が流れていることを実感させる。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
しばらく改装のため休館していた根津美術館の再開館した。入口へは竹のアプローチ↓。建物はガラスが多く↓↓、内部は明るい。
![]() ![]() ![]() 「展示室1」が今回の「国宝那智瀧図と自然の造形」。仏教美術が多いが、鎌倉時代の垂迹画は残念ながら色落ちがひどく見にくい。とくに明るいホールから入ってくるため暗順能に時間のかかる人には厳しい展示室である。 ![]() ![]() ![]() 不思議なことに鎌倉時代の国宝《那智瀧図》(←)にお目にかかるのは今回が初めてである。 瀧自体がご神体となっている垂迹画である。中央には瀧の水の流れや岩肌、上部には紅葉の色づいた山や半月、下部には杉の樹幹が屋根を貫く飛瀧神社の拝殿や大きな卒塔婆が描かれている。ここでは伝統的な手法と中国絵画の技法とが併用されている。山の表現は春日曼陀羅的であり、岩壁は北宋画的である。 これにくらべて、芸阿弥の《観瀑図》(→)は、南宋の院体山水画に学ぶものである。図上の題賛からこの画が1480年に描かれたものであるとのことである。こういった説明が会場にほとんどなかったのは残念であった。 ![]() ![]() 南北朝時代の《岩上観音図》←は変色がひどいが構成が良い。補陀落山中の流水に臨む岩上に坐る観音とこれに対面して法を問う善財童子。水中に出現する龍は判りにくい。 等禅の《白衣観音》→も岩上観音だが観音さまの足が痛そう。 江戸時代の《吉野龍田図》は、派手な屏風。右隻↓の吉野山の桜は胡粉で盛り上がっている。左隻↓↓の錦秋の紅葉に染まる龍田川も見事。両隻の短冊も巧い。筆者については、狩野山楽という伝承があるが、山口雪渓の筆と見る説もあるとのこと。 ![]() ![]() ![]() ![]() 「展示室4」の「古代中国の青銅器」はお馴染みのものばかり。《双羊尊》↓は入場券↓↓となっている。 ![]() ![]() 「展示室6」の「初陣茶会」では、野々村仁清の《錆絵柿図水差》↓が茶道をやっている家内のお気に入り。お持ちかえり希望とのこと。 ![]() 今回の改装はあくまで建物だけ。コレクションは今まで通り小出しに展示していくのだろう。 美術散歩 管理人 とら
平成館で企画展「皇室の名宝展」を観た後、平常展に回った。混雑した企画展の疲れが残っているので「国宝」3点だけに止めた。
1.狩野秀頼《観楓図屏風》 @国宝室↓: これを拝見するのはこの季節ならでの楽しみ。京都・高尾での紅葉狩りを描いた近世初期風俗画の典型である。清滝川辺での食事、お茶、踊り、赤ん坊に授乳する母親↓↓まで描かれている。空には雁の群れ、川の向うには神護寺の伽藍、雪に覆われた愛宕神社の参道が、川には聖地に向かう橋、川の手前には秋の草花や岩などで囲まれた桃源郷が描き添えられている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
今回は「ご即位20年記念特別展」である。10年前に開かれた「ご即位10年記念特別展 皇室の名宝-美と伝統の精華」と比較してみると、今回の1章「近代絵画の名品」では18点のうち12点(67%)が前回出展されており、とくに有名作品はほとんど再出品されている。
![]() ということで第1章の部屋は混んでいる入口を避けて、出口から入る。 又兵衛の《小栗判官絵巻》は、ちょっとドギツイ色彩ではあるが、小栗が閻魔大王の裁判で許されるところや↓、生き返って車で熊野に引かれていくミイラのごとき餓鬼阿弥と狂女のような常陸小萩の姿↓↓などは良く描かれている。全体で320メートルに達する大絵巻とのことであるが、全体を見てみたいものだ。 ![]() ![]() 酒井抱一の《花鳥十二ヶ月》や北斎の《西瓜図》は見飽きている。 若冲の《動植綵絵》は2006年に三の丸尚蔵館で5期にわたって開かれた「花鳥ー伊藤若冲《動植綵絵》↓で細切れながら全作品をみており(第1期、第2期、第3期、第4期、第5期)、2007年には京都の相国寺で開かれた「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵 120年ぶりの再会」で《動植綵絵》 の全作品と釈迦三尊像が一堂に会しているのを見ているので、さっと見ることにする。 ![]() ![]() 実際には、部屋の反対側から入ったのだが、入口方向からみると《動植綵絵》のベスト4が並んでいる。 左から、6(紫陽花、←上)、25(松白鳳、→上)、9(松孔雀、←下)、20(群鶏、→下)である。 ![]() ![]() この番号↓は辻惟雄著『若冲』(美術出版社 昭和49年刊)に従ったもので、大体は作成順らしいという。 入口から見て右壁には上記6と9を除いた1~18、左壁には上記20と25を除いた19~30が並んでいる。 ![]() ![]() ![]() この部屋の正面にはもちろん若冲の《旭日鳳凰図》が鎮座していた。 ![]() 《唐獅子図屏風》では、右隻の16世紀の永徳の獅子は緑毛のものと茶毛のもの各一頭であるが、17世紀に曾孫の常信がこれに補筆したの左隻には白毛の獅子が一頭だけ描かれている。頭数が2:1なので常信はもう少しこの白毛獅子を大きく描けば位負けしなかったかもしれない。しかし細部まで綿密に描かれており、表装も揃えてあるので、これまで両隻を揃えて展示することが稀だったということ自体信じがたい。良いコンビネーションであると思った。 対向の部屋の2章に展示されている「近代の宮殿装飾と帝室技芸院」では、62点のうち前回出ていたたものは27点(44%)であるが、昨年三の丸尚蔵館で4期にわたって開かれた「帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会」(第1期、第2期、第4期)に出展されているものが結構あるのでモット沢山見ていることになる。ということであっさりと流して見たのであるが、杉谷雪樵の《大納言公任捧梅図》、幸野楳嶺の《月下擣衣図》、瀧和亭の《孔雀鸚鵡図》など初見のものとして良いものが多かった。 書き出すときりがないので、自分と家内の「お持ち帰り」希望品をあげる。私としては七宝が良かった。派手な並河靖之の《四季花鳥図花瓶》↓を第一とするが、地味な濤川惣助の《月夜深林図額》もとても良かった。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
「慶應義塾創立150年記念 夢と追憶の江戸-高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展」という長い名前の展覧会。前中後期の3期に分けて約100点ずつ出すという商法。展示スペースはユックリしていたので、150点ずつの2期に分けられたのではなかろうか。
有名なコレクションなのだが初見。16年ぶりの公開ということなので前期が終わらぬうちに見に行った。 ![]() 師宣の《衝立のかげ》↓の色彩と色気、春信の《風俗四季仙 二月 水辺梅》↓↓の構図とコントラスト、清長の《色競艶婦姿 床入前》↓↓↓の色彩と色気、歌麿の《高島おひさ》の雲母摺(↑チラシの左上図)、北斎の《山下白雨》のぼかし、写楽の《三世市川高麗蔵の志賀大ヒ七》↓↓↓↓の雲母摺などは目を見張るものだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 以後の展示室は、1.浮世絵の黎明、2.浮世絵の革命、3.浮世絵の展開、4.幕末浮世絵ー北斎、5.幕末浮世絵ー広重、6.明治の浮世絵ー伝統の終息と分けて展示されており、浮世絵の歴史を俯瞰することが出来るようになっていた。初見の作品も少なくなかった。 「展示室4」のお気に入りは、奥村利信の《床之内三幅対 中 きやらとめ風》・・・伽羅の香↓、鈴木春信の《子供の遊び》・・・・兎の影絵↓↓、喜多川歌麿の《当時全盛美人揃 扇屋内花[扇]》・・・美しい着物の模様↓↓↓。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「展示室7」の歌川広重の作品は見慣れたものが多く、わずかに《白梅に寿帯鳥》↓の空摺が目立つだけ。月岡芳年には見事な作品が多かったが、やはり見慣れてしまっている。しかし肉筆画の《日向の景清》↓↓の暗さには心打たれた。小林清親の光線画《浜町より写 両国大火 明治四年一月廿六日出火》↓↓↓は良い〆だった。 ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
「ご即位20年記念特別展 皇室の名宝-日本美の華」が2009年10月6日から開かれており、今回はプレビューに美術ブロガーを呼び込んだようで、早速記事がアップされている。
![]() 10年前に開かれた「ご即位10年記念特別展 皇室の名宝-美と伝統の精華」のチラシ(←)、出品目録、図録が残っているので、今回の「ご即位20年記念特別展 皇室の名宝-日本美の華」のチラシ(→)、展示リストと比較してみた。10年記念展 「ご即位10年記念特別展」は正確にいうと8期にわたって陳列されていたが、おおよそは前期(12月21日-1月16日)と後期(1月18日-2月13日)に分けて展示されていたといっても良い。その分類と保管先は下記。 1.古代のかたち・・・縄文・弥生・古墳時代の出土品で、書陵部陵墓課と東博保管のもの。 2.天皇の肖像と書・・・大多数が御物で、三の丸尚蔵館や書陵部図書課所蔵のものが少数。 3.古筆の名品・・・御物が少数で、大多数が三の丸尚蔵館に保管されているもの。 4.伝世の品々・・・御物と三の丸尚蔵館蔵のもの。東博保管のものも1点だけあった。 5.近世宮廷の美・・・三の丸尚蔵館蔵が大多数で、京都事務所や東博のものもあった。 6.新しい伝統美・・・三の丸尚蔵館蔵が大多数で、御物や用度課、書陵部図書課、東博のものもあった。 20年記念展 今回の分類はより単純であるようにみえるが、2期に分かれているので合計6章であることには変わりがない。所蔵先も似たようなもので、御物、三の丸尚蔵館、用度課、書陵部陵墓課・図書課、京都事務所あるが、今回は2期・1章に正倉院宝物が数多く出品されており、逆に東博のものが皆無となっていた。 下記は今回の展示の分類であるが、それぞれの章における前回出品率をくらべてみた。 (20年記念展 1期) 1章 近代絵画の名品・・・18点のうち12点(67%)が前回出展されている。とくに有名作品はほとんど再出品されている。 ただし、若冲の《動植綵絵》は前回12幅に対し今回は30幅すべて陳列されている。もっとも若冲の《動植綵絵》は2006年に三の丸尚蔵館で5期にわたって開かれた「花鳥ー伊藤若冲《動植綵絵》で細切れながら全作品をみており(第1期、第2期、第3期、第4期、第5期)、2007年には京都の相国寺で開かれた「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵 120年ぶりの再会」で《動植綵絵》 の全作品と釈迦三尊像が一堂に会しているのを見ている。 また永徳の《唐獅子屏風》に常信の左隻がついており、又兵衛の《小栗判官絵巻》は前回の巻第1・11・13から今回は巻第2・10に変わっている。これたちは絶対に見たいなー! 2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸院・・・62点のうち前回出ていたたものは27点(44%)。ただし昨年三の丸尚蔵館で4期にわたって開かれた「帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会」に出展されているものが結構ある(第1期、第2期、第4期)。 (20年記念展 2期) 1章 古の美 考古遺物・法隆寺献納宝物・正倉院宝物・・・38点のうち10点(26%)であるが、正倉院宝物22点を除いた16点では63%が前回も出ていたことになる。 2章 古筆と絵巻の競演・・・22点のうちなんと21点が既出。その比率95%。 3章 中世から近世の宮廷美 宸翰と京都御所のしつらえ・・・30点のうち12点が前回も出ている。40%である。ただし、《伏見天皇宸記》は巻第6,7が今回は巻1,5に、《花園院宸記》は巻1、7、12、28が巻第29、35に、貞成親王の《看聞日記》は巻第5,16が巻第13に変わっている。 4章 皇室に伝わる名刀・・・10口の刀のうち前回出ていたのは1口のみ。10%。 合計すると、前期は80点中の39点、49%、後期は100点中の44%、前後期あわせると180点中の83点、46%が前回の展覧会にも出ていたということになる。 この数字はどちらか一方だけを見ようという場合やどの会場から先に観るかの参考になるのではなかろうか。さてわたしはどうしようかな。 美術散歩 管理人 とら
この土井利一コレクションの展覧会についてはこのブログに案内記事を書いた。そして土曜日には、土井氏のギャラリートークに合わせて観にいってきた。
今回の展覧会は土屋光悦が中心であり、その師小林清親の作品は4点のみであった。入ってすぐのウィンドウには清親の《猫と提灯》が出ていた。これは内国博にも出された有名な絵らしく、陳列されていた画集の表紙のもなっていたが、個人的にはあまり好きにはなれなかった。 ![]() ![]() 次のウィンドウには光逸の初期の作品。歴史画や花鳥画など、あまり感心しない。光逸は最初石版画をめざしていたが、肺結核のため石版はやめて木版に移った。 昭和7年に清親の17回忌展で渡邊庄三郎に見出され、新版画の道を歩むことになる。そのときの2作品の一つ《祇園の夜桜》が出ていたが、なかなか良い。この新版画デビューは光逸62歳の時だというから随分遅咲きである。 次には、光逸の代表作とされる「東京風景」の12点がズラリと並んでいた。こちらは土井貞一版である。渡邊から土井へ移った理由は不詳。夜、雨、雪など巴水と同じテーマのものが多いが、それとは異なる情緒であるような気がする。絵はがきを買ってきたので並べてみる。初摺ばかりである。このことは、摺師の名、スカシ、ハンコなどから推定されるとのこと。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() メインのウィンドウには、清親の光線画《柳原夜雨》↓と肉筆風景画《墨堤雪景》があったが、いずれもとても良いものだった。 光逸のその他の作品としては、藍摺の《本栖湖》、《箱根湖水》、森ヶ崎海岸》がお気に入り。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
「The ハプスブルク」展の記念講演会。演者はウィーン美術史美術館副館長兼絵画部長のカール・シュッツ氏。演題は「デューラー、ティツィアーノ、ブリューゲル、ベラスケスーハプスブルク家とその画家たち」ということであったが、内容的には「ハプスブルク家の美術コレクターたち」としたほうが良いものだった。
以前、カール・シュッツ氏のギャラリートークに参加したしたことがあったが、その時は分かりやすい英語を話されたのに、今回はドイツ語の原稿を早口で丸読み、それに続く和訳者も早口でまくし立て。いつものように頑張ってメモしたが、固有名詞などは聞き取りにくく、講演終了時には疲労困憊した。聴衆は寝込んでいる人が多かった。もうすこし何とかならないものだろうか。 1.皇帝ルドルフ2世: 今回の展覧会の冒頭にはアーヘンの《神聖ローマ帝国ルドルフ2世》↓の肖像画が飾られている。この画では、ルドルフ2世は、皇帝の服装をしておらず、スペイン風の衣服をまとっている。そしてその表情は幾分沈うつである。彼は少年時代を伯父のスペイン宮廷で過ごしたが、そこでフェリぺ2世が収集したティツィアーノやボッシュの作品やエル・エスコリアール宮殿建築から美術に対する理解を深め、「美術品収集は王の仕事である」と信ずるようになった。父の皇帝マキシミリアン2世の死によって、1576年、24歳で神聖ローマ帝国皇帝となったルドルフは、オーストリアに戻るやいなや宮廷をウィーンからプラハに移した。ケプラーをはじめとする学者や芸術家をこの地に招聘するとともに、美術品の収集を開始した。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 彼は短時間に17世紀で最大規模を誇る絵画ギャラリーを築きあげたが、これはテニールスの《大公レオポルド・ヴィルヘルム大公のブリュッセル画廊》↓という「画廊画」に示されている。この画のなかに描きこまれた画の大部分はイギリスのハミルトン・コレクションからのものであるが、実際には異なったサイズのものである画を同じ高さに揃えて描いている。今回出展されているティツィアーノの《イル・ブラーヴォ》↓↓もこの中に描きこまれている。探してみてください。一番前の3枚のうちの右側の画だと思います。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 彼は低湿に属する美術品をすべてウィーンに集め、シュタルクブルグに飾った。フェルディナンド・ストルファーは羊皮紙本↓にこの帝室画廊の各壁を正確に描いているが、これによると中央に大きな画、周囲に小さな画を木枠にはめて飾り、上部は楕円形に画が飾られている。こうするために絵画が切断されたりしている。 ![]() ![]() 父の皇帝カール6世にも先帝である彼の兄の皇帝ヨーゼフ1世にも男児がないため、カール5世はオーストリアの皇位はスペイン国王が継ぐということになると、権力が集中しすぎると教皇に言わせ、さらに自分の娘のほうが兄の娘より継承権が先であるという規則を作ったのである。そしてマリア・テレジアの結婚相手には力のない家系の男子ロートリンゲン公を選んだのである。 ![]() カラヴァッジョの《ロザリオの聖母》↓はこの時期アントワープで購入されている。 ![]() 美術史美術館の中2階のホールには、ベルガーの《学術文化を奨励したハプスブルク歴代皇帝の姿を描いた巨大な天井画》がある。↓と↓↓は画面の左半分であるが、左からルドルフ2世に冠を渡す金細工師、彫刻家レオ・レオーニ、塩壷を持ったヴェンヴェヌート・チェルニーニ、ティツィアーノとカール5世、その后イザベラ、妹マリア、背後には甲冑職人、武器職人を従えたチロルのフェルディナント大公が見られる。右側には、マキシミリアン1世とデューラー、カール6世、ルーベンス、レンブラントなども描かれている。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
ハプスブルク王家の美術コレクションという「くくり」で、ウィーン美術史美術館とブタペスト国立西洋美術館の所蔵作品を集めた展覧会である。
ウィーン美術史美術館は世界有数の美術館。2007年3月に訪れる機会↓があったが、その前にも東京で何回かその展覧会(①栄光のハプスブルグ家展: 東武美術館 1992、②ハプスブルグの遺宝 ウィーン美術史美術館名品展: Bunkamura 1996、③ウィーン美術史美術館展: 東京藝術大学大学美術館 2002、④ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展 : 東京都美術館 2004)を見ているので、おなじみの美術館のような気がする。 ![]() ブダペスト美術館は訪れたことはないが、⑥「ハンガリー国立ブダペスト美術館所蔵ルネサンスの絵画: 東武美術館 1994」展を観たことがある。 このような次第で今回の「The ハプスブルグ」展はパスしようかと思っていたが、上述のシュッツ副館長の講演会の招待状をいただいたので、出かけてみた。 講演の内容は別記することにして、展覧会を概観し、お気に入りを何点かあげてみたい。 展覧会は下記の6章に分かれている。 1.ハプスブルグ家の肖像画: この中での白眉は、何回か観ているが、やはりヴィンターハルターの《オーストリア皇妃エリザベート》。姑ゾフィーとの確執、息子の皇太子ルドルフの自殺、本人の悲劇的な暗殺などが頭をよぎるが、それだけにこの美しさはこの世のものとは思えない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 5.工具と武具: すくなくとも半数は以前の展覧会で観ている。《シャーベット用センターピース》↓や《ラピスラズリの鉢》↓↓はシッカリと憶えている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() シュッツ副館長の講演はこちらに別記。 美術散歩 管理人 とら
今朝、木版画研究家の土井利一さんから手紙が届いた。土井さんとは、一昨年、礫川浮世絵美術館で開かれた「川瀬巴水木版画展」でお目にかかり、そのことについてこのブログやホームページに記事を書いたことがある。その記事をきっかけとして、沢山の若手ブロガーたちもこの展覧会を観にいかれたようだった。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 訪問記事はこちら 美術散歩 管理人 とら
昨日、現在江戸東京博物館で開かれている「よみがえる浮世絵ーうるわしき大正新版画展」の感想を記事にしたところ、Takさんから「お好みの女性は?」というコメントが入ってきた。思わず「鳥居言人」と答えてしまったので、ここに追加の記事を書くことにする。
2年前に、東京都庭園美術館で「大正シック」という洒落た名前の展覧会があった。アメリカ人女性のコレクション展である。そのなかに鳥居言人の《髪梳き》が出ていた。とても印象的な新版画だったので、その記事の中でも特記した。 ![]() 今回の展覧会で鳥居言人の《髪梳き》に再会したのである。それも日本初公開のロバート・ムラー新版画コレクションの一つとして里帰りしたのである これは墨線による輪郭線を使用しない「無線彫」という技法で彫られたものである。輪郭線に相当する部分は無色であるが、その太さが違うので、この部分は彫られているものであることが分かる。 歌麿の美人画で見られる「無線摺」では、顔や首、あるいは着物の一部にまったく輪郭線がなく、色の面だけで摺っているのであり、この「無線彫」とは明らかに違っている。 いうなれば「無線摺」は没骨で、柔らかな質感を出すために使われているが、「無線彫」ではむしろ輪郭線が白く強調されたクロアソニズムのように感じられる。 ![]() このような裸体画が好きだというと誤解を受けそうなので、今回石川県立美術館から出品されていた鳥居言人の他の画像をあげておく。一つは、上記に着物を着せた《長襦袢》(左図)である。ついでに後期に出品される《帯》の画像(右図)もあげておきたい。これはちゃんと着物を着て、帯を締めているところである。両者の画像をならべたのは、↓のように、この両者が趣味切手となっているからである。 ![]() 今回の三枚目は、シッカリと着付けて、番傘を持ってお出かけの姿《雨》↓である。もちろんこれが前期のマイ・ベストである。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
新版画とは、江戸時代の浮世絵と同様の技法によって制作された大正から昭和初期に発展した木版画。その中心となった版元は渡邊庄三郎であるが、その孫の渡邊章一郎氏の講演「新版画と川瀬巴水の魅力」を聴いたことがあり、このホームページにそのメモを載せている。今回の展覧会はこの講演に出てくる新版画の歴史を総ざらいするものであった。
さらに今回の展覧会には、ムラー新版画コレクション(スミソニアン協会アーサー・M・サックラー・ギャラリー蔵)30点が 日本初公開 されているが、これを含め国内外の新版画の優品や資料が約250点展示されていた。 第1章 新版画の誕生 この章では、新版画誕生前夜に輸出用浮世絵を作っていた高橋松亭、新版画誕生のきっかけをつくったオーストリア人フリッツ・カペラリ(↓は濠端の松、渡邊庄三郎がロス赴任中の小島烏水に送ったもの)と、新版画制作の中心にあった橋口五葉らの新版画を紹介されている。 ![]() ![]() その後、イギリス人チャールズ・バートレット、伊東深水(↓は対鏡、背景にはバレンの擦り跡を目立たせるザラ摺の技法を使用)、山村耕花、名取春仙、吉田博(↓↓日本アルプス十二題の内 鑓ヶ岳)、川瀬巴水(↓↓↓は明石町の雨後)、高橋松亭、イギリス人エリザベス・キースなど、日本画家のみならず、洋画家や、外国人作家の参画によって、関東大震災前の新版画は最も華やか作品を生み出す時代となった。 ![]() ![]() ![]() 第3章 新版画とモダニズム 関東大震災後の東京には、復興とともに随所にモダニズムの空気が広まっていった。この時代の美人画作家としては、山村耕花(↓は踊り 上海ニューカルトン初見)、小早川清(↓↓はダンサー)、伊東深水、鳥居言人、山川秀峰、平野白峰、風景画作家としては、川瀬巴水、吉田博、伊東孝之、笠松紫浪(↓↓↓は春の夜ー銀座)、土屋光逸、石渡江逸、役者絵作家としては名取春仙、山中古洞があげられ、外国人作家としてはエリザベス・キースのほか、フランス人ポール・ジャクレーやノエル・ヌエットの作品が展示されていた。また京都画壇の三木翠山、吉川観方の新版画作品も見ることができた。 ![]() ![]() ![]() 新版画は欧米の雑誌や新聞でも取り上げられ、 1920 年末から 30 年代に日本の新版画への評価は急速に高まり、「現代日本美術」の代表格となった。 1931 年、ハーバード大学の学生だったロバート・ムラー(1911-2003 )は、ニューヨークの日本美術店シマ・アートカンパニーのショーケースで初めて新版画と出会った。川瀬巴水の《清洲橋》↓である。 ![]() この章では、ムラー・コレクションの中から、彼の収集の様子がうかがえる写真や資料、ならびに収集した経緯がわかる作品30 点が展示されていた。その中には、川瀬巴水、小早川清(↓は近代時世粧ノ内 ほろよい)、橋口五葉、吉田博、伊東深水、名取春仙(↓↓十五世市村羽左衛門の入谷の直侍)、笠松紫浪(↓↓↓は紀の国坂 梅雨)、小原古邨(↓↓↓↓葦に鷺)、鏑木清方、山村耕花(↓↓↓↓↓四世尾上松助の蝙蝠安)、フリッツ・カペラリ、鳥居言人、北野恒富などの名品が含まれていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この章では、映像フィルムや資料から、新版画制作における絵師、彫師、摺師の技と工夫が示されていた。 美術散歩 管理人 とら
ウィーン・ミュージアム(旧ウィーン市立歴史博物館)所蔵のコレクション展。このミュージアムはカールスプラッツ駅に近い便利なところにある。簡単な訪問記はこちらであるが、クリムトの初期の作品が多いので有名である。
章立ては、 1.装飾美術と風景画ーリアリズムから情緒印象主義へ 2.グスタフ・クリムトとそのサークル 3.エゴン・シーレ 4.分離派とウィーン工房 5.自然主義と表現主義 まずはマッチュの画。マッチュは1883年にクリムト兄弟と芸術家商会を結成し、装飾壁画を制作している。彼らの作品はブルグ劇場や美術史美術館のものは実際に見る機会があった。《テレーゼとフランツ・マッチュ》↓は自分の子供たちを描いた優しい画である。芸術家商会を解散した後の作品で、クリムト兄弟の桎梏から逃れたのびやかなタッチである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 彼の《ひまわり》は以前にもみたが、1909年、早い時期の作品である。ヒマワリを選んだのはゴッホやクリムトの影響が指摘されているが、クリムトの絢爛たるヒマワリ、ゴッホの明るいヒマワリにくらべれば、シーレのヒマワリはいかにも淋しげである。高く育った植物が萎れているのは悲観主義的であるが、下部に新しく育ち始めた生命を描いているのが救いであるといえようか。 彼の自画像は特異である。指を大きく広げている。会場でまねしてみたが、この形にはならなかった。背後の茶色の花瓶から、葉の付いた枝が水平に延びている。この花瓶には三つの顔が描かれている。自画像に壷を描きこむというのはゴーギャンの画に見られているが、シーレの自画像もゴーギャンと同じく自我の二重性を象徴しているのだろうか。背部の鮮やかな色の帯はウィーン工房の原図、左上部のそれはシーレの画の一部と説明されていたが、それほど仔細に分析する必要はないかもしれない。シーレは、1918年、ようやく画家としての地位を確立しようとしていた矢先、当時パンデミックとなっていたスペイン風邪、すなわち当時の新型インフルエンザで急死。28歳の若さであった。なお、妊娠中であった妻のエディットはシーレの死の3日前に同じ病で没しているので、シーレのインフルは妻からうつったものであることは間違いなかろう。妊婦は胎児に対する拒絶反応を抑えるため、自然に免疫性が落ちている。現在流行中の新型インフルでも妊婦が重症化しやすいとされている。 こいうったことを考えながら、シーレの自画像に『新型インフル厄除け』をお願いした。もちろんマスクをかけて。これは江戸時代に『痘瘡厄除け』のため科挙に落第して死んだ鍾馗の絵にお願いしているようで、われながらおかしかった。 分離派の画家の作品が沢山出ていたが、ここではカール・モルの《庭のテラス》↓とコロ・モーザーの《麦わら帽子の娘》↓↓だけを上げておきたい。前者のテラスには、月桂樹の木々とゼラニウムの赤い花が装飾的に遠方まで描かれている。いわゆる「庭園芸術」に繫がるものなのだろう。後者は、平面的な造形理論とホドラーに影響された不思議な感覚の色彩で満たされている。 ![]() ![]() ![]() 【参照】 〇オーストリア国立工芸美術館 ウィーンのジャポニスム展: 東武美術館 1995 〇ベルベデーレ宮 オーストリア絵画館所蔵 ー クリムトとウィーン印象派展: 富士美術館 1996 〇ウィーン世紀末展 クリムトの夢&シーレの愛 レオポルドコレクション: 安田火災東郷青児美術館 1997 〇ウィーン美術館 カールスプラッツ 2006 〇中欧美術散歩ー10(ウィーン第1日) 2006 〇中欧美術散歩ー11(ウィーン第2日) 2006 美術散歩 管理人 とら
コルシカ島のフェッシュ美術館というなじみのない美術館展。コルシカ島といえばナポレオン生誕の地であることはだれでも知っているが、その叔父のジョセフ・フェッシュ枢機卿(1763-1839)が世界有数のコレクターであり、当時16000点以上の美術品も収集していたということを知っている人はそれほど多くないだろう。
そのコレクションにはジョット、マザッチョ、フラ・アンジェリコ、マンテーニャ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ、ジョルジョーネなどのルネサンス絵画も含まれていたとのことである。 ちょっと美術史に詳しい人ならば現在ヴァチカン絵画館に収蔵されているレオナルド・ダ・ヴィンチの《聖ヒエロニムス》↓に関するフェッシュ枢機卿の逸話を知っておられるだろう。 ![]() 卿の遺言により、ナポレオンの子弟のため、コレクションの大部分が売却されたが、1000点だけは自分の出身地のコルシカ島のアジャクシオ市に贈られ、それがフェッシュ美術館の基礎となっているのである。 前置きが長くなったが、展覧会は第1章:光と闇のドラマー17世紀宗教画、第2章:日常の世界を見つめてー17世紀風俗画の世界、第3章:軽やかに流麗にー18世紀イタリア絵画の世界、第4章:ナポレオンとボナパルト一族に分かれている。 宗教画のなかではボッチチェリの《聖母子と天使》↓が大きな目玉である。チラシにも「それは500年の歴史上、アジア圏初の邂逅」という大げさな見出しが付いている。 ![]() 全体の感じには師のフィリッポ・リッピの影響が感じられ、特にウィフィツィ美術館の《聖母子と天使》(↓左)との類似が認められる。ボッチチェリのこの作品の一部(↓右)を比較すると、マリアの顔がソックリである。リッピのマリアは妻のルクレティアをモデルにしたということであるが、ボッチチェリもそのようにしたのだろうか。 ![]() ![]() ジョヴァンニ・ベッリーニの《聖母子》↓も素晴らしかった。マリアの優しさをたたえながら、心配そうに視線を落す表情は幼子イエスの将来に対する不安を表現したものなのだろう。無邪気な幼子の仕草と対照的である。背景は美しい金地であり、後光が見事に刻されている。 ![]() 17世紀風俗画では、パウル・ブリルの《風景》、ガスパール・ヴィッテルの《サンタンジェロ城の見えるローマの景観》、マルテーゼの《トルコ絨毯と壁布のある静物》、18世紀イタリア絵画では、ベネディット・ルティーの《難破船を救う聖女カタリナ・トマス》、フランチェスコ・ソリメーナの《リベカの出発》、セバティアーノ・リッチの《カルミスとブレンヌス》、コッラード・ジャクイントの《サン・ニコラス・ディロレージ聖堂のドーム装飾のための習作》などが目に止まった。 ナポレオンの章はさすがである。ナポレオン1世は大嫌いであるが、その親族のことはここで良く勉強できた。アレクサンドル・カバネルの《ナポレオン3世》↓は、宮廷画家としてのカバネルの面目躍如であるが、《ヴィーナスの誕生》との落差は大きい。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
昨日の講演会への招待状と展覧会招待券2枚を新聞社からいただいた。Takさんのお世話である。あいにく昨日は都合が悪かったので、今日会場を覗いて来た。
![]() しかし、内容はナカナカ。以下、同行した家内のお勧めを中心に感想を書くことにする。章は、1.サロン、2.ダイニングルーム、3.書斎、4.エクトル・ギマール、5.貴婦人の部屋、6.サラ・ベルナール、7.パリの高級産業に大別されている。 チラシ↑下部の《インク壷》は、「書斎の章」に展示されているモーリス・ブヴァルの金メッキブロンズ作品。オフィーリアが蓮の花に頬を寄せ、蓋の取っ手はなんと蝿である。 チラシ↑上部の《天井灯》は、「エクトル・ギマール」の天井ランプシェード。金メッキブロンズ、ガラス、ビーズなどで作られた派手な作品。 「貴婦人の部屋」が素晴らしかった。ガレの《婦人用机”オンベリュル”》は↓、数段に分かれた寄木象嵌。最下段の蛙の行列が面白い。中央のパネルには蝶々。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
チラシの副題は「クノップからデルヴォー、マグリットまで」と「姫路市立美術館所蔵」となっているが、後者は薄いインクで分かりにくく印刷されている。Bunkamuraではこの時期には別の企画展を予定していたのであるが、貸主の都合でキャンセルされ、あわてて姫路市立美術館に泣きついたものらしい。借物美術館の悲劇であるが、チラシにこんな細工をすることはなかろう。
![]() ![]() わたしは象徴派絵画・シュール絵画好きである。自分のHP「美術散歩」のサイト内検索を、象徴派・デルヴォー・マグリットでかけてみると、後記するようになんと10展も出てきた。 前置きが長くなってしまったが、以下は章別に感想を述べていく。 第1章 世紀末の幻想 象徴主義の画家たち: フランスの詩人モレアスが目指した理念や精神など「目に見えない世界」を間接的に暗示する象徴主義に平行してカルト的集団が誕生し、その一つである「薔薇十字会」にデルヴィルやクノップフが所属していた。 デルヴィルの大作《レテ河の水を飲むダンテ》は、ベアトリーチェにつれなくされたダンテがマチルダから忘却の河の水をもらう印象的な作品。 クノップフのパステルの小品《ヴェネツィアの思い出》↓は以前の象徴派展の図録では「ギャルリーところ」となっているが、その後姫路市立美術館で購入したらしい。これは画家の理想の女性であろうか。輪郭をぼかした柔らかな筆致、細密な描き方は、繊細で甘美な女性像となっている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 今回の展示はほとんどが版画であったが、その細密な技巧にも感嘆させられる。↓はエリオグラヴュールの《スフィンクス》で、スフィンクスにしなだれかかる裸体の女性とこれを後から眺めている悪魔であるが、以前の象徴派展では色鉛筆・水彩・グアッシュの《バルベイ・ドールヴイ著『悪魔のような女たち』の扉絵》↓↓を見ている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 油彩では、サベナ航空社長ペリエ宅の壁画が3枚並んでいたが、ペリエ夫人も描かれていた。タイトルは《立てる女》、《女神》、《乙女達の行進》。 絹織物サーベル・ビロードの《ささやき》が素晴らしかった。これは絹布を細い帯状に切り、再び貼り付けなおしたものである。見る角度によって光の当たり具合が異なるため、女性たちの肌の色や輝きが違って見える。 クロード・スパーク『鏡の国』のための連作の中の「最後の美しい日々」が面白かった。急死した愛妻を剥製にして保存していた夫が、いつまで経っても老けない剥製の妻に耐えられなくなり、ナイフで細切れにしてしまうという途方もない物語。↓は展示された8点の銅版画の一枚《解剖室》。 ![]() ![]() ![]() (参 照) 年月の後のa=筆者、t=家内 マグリット展: 三越美術館 (1994.11t) 世紀末ヨーロッパ象徴派展: Bunkamura (1997.1t) ボイマンス美術館展 カンディンスキーからデルヴォーまで: 伊勢丹美術館 (1998.8t) デルヴォー展-その生涯と人物像: 新潟市美術館 (2004.7a) ベルギー象徴派展: Bunkamura(2005.4a) ゲント美術館展: 世田谷美術館 (2005.6a) ベルギー近代の美: 府中市美術館(2005.11a) ベルギー王立美術館展:国立西洋美術館 (2006.9a) シュルレアリスム展:埼玉県立近代美術館(2007.3a) シュルレアリスムと美術 イメージとリアリティーをめぐって:横浜美術館(2007.9a) 美術散歩 管理人 とら ![]() 江戸時代の庶民の絵画といえばなんといっても浮世絵。絵馬や幟旗となるとまとめてみる機会は非常に少ない。実際今回の幟旗展はわが国で最初のものらしい。 ![]() 「幟」という字は、「巾=布」+「認識」ということで、「目立つ旗」という意味らしい。戦国時代の武者の「旗指物」などは、敵味方の認識だけでなく、自分の武功を認識してもらって恩賞に与ろうという「実用性」を有するものだったのだが、平和で豊かな江戸時代になると、端午の節句や神社の祭りの際の「装飾」となっていったものである。 こういう幟旗にもコレクターがいるとは驚きである。今回の展覧会は北村勝史、鈴木忠男、林直輝の500に達するコレクションから、ちょうど100本の幟旗を選んで展示されている。なにせ長大なものである。地下の第一展示室は吊り下げられた幟旗の森となっていた。2階の第二展示室にも作品が並んでおり、奥の小部屋には内幟のほかに、下絵のような参考作品も並べられていた。1階のロビーから見た第一展示室の景色はまさに壮観であった。 ![]() 1.無地、幾何学文: 《三色旗》、《紅色旗》、《市松》など単純なデザインのもの。 2.波: 《破軍星》の上部には北斗七星、下部には海。なかなかの作品である。《波に兎》↓も素晴らしい。 ![]() 4.登龍門: 《登竜門》が5点も出ていた。これは明治時代以降に鯉のぼりの源となった絵柄であるが、江戸時代までは端午の節句にこのような幟旗を揚げることが一般的だった。鯉のぼりも当初は幟旗に描かれたように一匹の鯉のみだったとのこと。 5.鍾馗: 鍾馗は科挙の試験に落第して、絶望して死んだ男なのに、このように幟に飾られているのは皮肉なものである。 6.金太郎と桃太郎: 金太郎の幟は多いが、桃太郎のは少なかった。後者には登場者が多いからとの説明だったが、本当かな?↓は《鯉と金太郎》、略して《鯉金》。 ![]() ![]() ![]() 9.説話: 《民の竈》↓という仁徳天皇の恩情をモチーフにした幟が面白かった。古代の天皇と江戸時代の農民の取り合わせがユーモラス。《玉取姫》も2点出ていた。 ![]() 11.童子: 《郭君子》はチラシ↑の左側の中国の童子たち。 12.動物: 《十二支》の動物が、団扇や扇子に描かれた素晴らしい幟があったが、残念ながら6匹だけ。対の幟は発見されていないらしい。 《桐に鳳凰》↓が美しかった。 ![]() 14.文字: チラシ↑の右側の《八幡宮》のような立派な文字は、霊性を帯びている。 15.内幟: 屋内に飾られたもののため小さいが、色が良く残っていた。なかでは《碁盤忠信》、すなわち碁盤を持って奮戦する佐藤忠信の姿が印象的だった。 良い展覧会を見ることができた。これは9月13日まで。お見逃しなきように。 美術散歩 管理人 とら
アートコレクター10月号(2009、No16)が本日発売された。↓
![]() その巻頭特集「この秋、見たい買いたい!展覧会ガイド」の中に「ネットで集める展覧会情報ー情報サイト利用術入門」という見開きのページがあり、メジャーなサイトに混ざって個人ブロガーも紹介されている。 その一つはもちろん「弐代目・青い日記帳」で、ブロガーTakさんの横顔の肖像写真↓も取材協力者として載ってっている。 ![]() ![]() 「アートコレクター10月号」から検索して訪問された方ありがとうございました。このブログの特徴を自己紹介しますと、以下のようです。 1.継続中の姉妹編ホームページ「美術散歩」の記事が1991年以来の展覧会を包含していること。すなわちブログと合わせると18年の長期にわたっていること。 2.あくまで鑑賞者の立場に立って書き、結構な辛口コメントも含まれていること。 3.仕事で国内外に旅行するたびに、美術館探訪に励んでいること。 4.次世代へつなぐため「戦争画」の話題を積極的に取り上げていること。 どうかよろしくお願いします。 美術散歩 管理人 とら
恒例のお盆の墓参り。祖父の家には従兄弟たちも集まっている。その日は朝から暑かったが、とても静かだった。
祖父の家までは約4kmだが、一家でテクテク歩いていくことになっている。空には一点の雲もない日本晴れ。その空の抜けるような青さと異常な明るさは今でも目に焼きついている。 祖父の家に着くと、親戚一同が集まっている。不思議なことにラジオがその中心となっている。正午から大切な放送があるとのことである。 雑音混じりのラジオから聞こえてきたのは終戦の玉音放送であった。難しい言葉だったので自分では十分に理解できなかったが、そばにいた親戚からは「日本が戦争に負けた」との説明を受けて納得した。灯火管制、防火頭巾、防空壕、疎開児童などから国民学校の生徒であった自分にも戦局の推移がおぼろげながら分かっていたからである。 そうです。これは1945年8月15日のことなのです。 それ以来、この空の色は自分にとって特別な色となってしまった。美術散歩で似たようなスカイブルーに出会うたびに思わず足を止めてしまう。 最近では「日本の美術館名品展」で見た海老原喜之助の《曲馬》↓の空、それも雲の浮いていない部分のスカイブルーである。 ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら ![]() 浦島蒔絵手箱と鹿下絵和歌スクロールについては、前報に書いたので、ここではそれ以外について。 1.日本美術 〇 遮光式土偶: 東博のものは左脚欠損だが、こちらは右脚欠損プラス右乳房一部欠損。縄文時代の姉妹のようだ。 〇 車輪石: 車輪石は古墳時代前期の副葬品の一つで、弥生時代のオオツタノハ貝製の腕輪が古墳時代に碧玉で造られるようになったと考えられている。淡青緑の色と波状紋が美しかった。 〇 色絵楼閣山水図丸文鉢: 江戸時代。古九谷のとろりとした白がなんともいえない。 〇 長谷寺縁起絵巻: 室町時代。村人が霊木を伐ったら、火事や疫病が多発したとの物語。三巻それぞれの良い画面が開かれていた。とても巧い絵である。 〇 鹿島立神図: 南北朝時代。月と鹿と春日明神。なんともノンビリとした絵である。 〇 駿牛図: 鎌倉時代。東博の「博物館でお正月」で見た断簡の兄弟分。迫力ありますね。駿牛図巻断簡の現在地は、1.国(文化庁)、2.東博、3.五島美術館、4.藤田美術館、5.シアトル、6.クリーブランド、7.個人(半田市)・・・確か全部で10点あるはずですが、後の3点は何処? 〇 列子御風図: 室町時代。空を飛ぶキャラが愉快。 〇 竹虎図: 狩野興以。虎の目つきが良い。おそらく龍を睨んでいるものとのこと。 〇 烏図(右隻部分=チケット↑、左隻↓): 江戸時代。シアトルの目玉作品とのこと。烏同士の争いなどのテーマはイマイチだが、それぞれの烏の羽や舌や脚の表現は巧い。金と墨の対比はちょっと激しすぎるが、空間が残っているので救いはある。川村記念美術館所蔵の長谷川等伯の《烏鷺図》の烏と良い勝負。 ![]() 〇 酒井抱一像: 伝 酒井鶯蒲。歴史的価値があるのだろう。 〇 五美人図↓: 葛飾北斎。上から、①化粧中の裕福な女性、②生け花をしている若い女、③御殿女中、④花魁、⑤読書する年増。 ![]() ![]() ![]() ![]() 〇 玉器・青銅器: それぞれ美しいが、比較的小ぶりのものが多く、迫力はイマイチ。 〇 団華文五花形蓋碗: 唐時代。見事に磨き上げられた銀食器。模様の鍍金が美しい。 〇 三彩胡人俑: ペルシャ人の表情が愉快。 〇 白磁壷: 唐時代。邢州窯のゆったりとした白磁。お気に入りですね。 〇 玳玻天目茶碗: 南宋時代。国内でも見たことのある特徴的な茶碗。シアトルにもあったのか。 〇 青花鳳凰花卉文稜花大盤: 元時代。初期の青花。立派! 〇 青花アラベスク文双耳扁壷: 抱月瓶(moon flask)。なるほど「中村屋」の月餅に似た形である。 〇 粉彩梅樹椿文盤: 美しい文様。裏にまで続いている。 〇 墨梅図↓: 楊煇(元時代)。落ち着いた好品。 ![]() 〇 山畳賞月図: 伝 李唐。 月と屋内の明るさと周辺の暗さとの対比が素晴らしい。 3.韓国美術 〇 青磁陽刻蓮花文梅瓶: 高麗時代 12世紀。ほとんど灰色ともいってよい高麗青磁。おっとりとした好品。中国の越窯青磁の名品が「秘色」と呼ばれたのに対し、高麗青磁は12世紀前半頃には「翡色」と評され、朝鮮半島だけでなく中国各地でも高く評価されたとのことであるが、こんな色だったのだろうか。 〇 青磁象嵌菊花文盞托: 高麗時代 12世紀。灰青緑の高麗青磁。象嵌が美しい。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
「美しきアジアの玉手箱」という副題の展覧会。玉手箱というのは《浦島の手箱》の名で知られる鎌倉時代の漆工の名品《浦島蒔絵手箱》↓。蓋裏には、これから箱を開けようとする浦島太郎の困った顔。亀のいたずらそうな目も面白い。竜宮城もしっかりと彫られている。外表はもちろん亀甲文。
![]() ![]() 益田鈍翁は佐竹本《三十六歌仙》を細切れにした張本人でもあるが、数奇者の風上にも置けない不埒な男である。 今回の展覧会には通期で展示されるシアトル本1巻のほか、山種美術館↓、サントリー美術館↓↓、個人蔵、五島美術館、MOA美術館本が期間限定で展示される。 ![]() ![]() パネルには、このように分割・分散した《鹿下絵和歌巻》がシアトル美術館のプロジェクトでデジタル再生されていると書かれていたので、帰宅して早速拝見した。説明によると、日本国内に分散しているもののうち、現在行方不明となっていたものについては、残っていた白黒写真から再生させたとのことである。また傷みがひどかったシアトル本は、2003年から1年かけて東京国立文化財研究所の在外日本古美術品修復協力事業で修復されていたものである。 再生された《鹿下絵和歌巻》の画像は2007年5月からシアトルで開かれたFive Masterpieces of Asian Art: The Story of their Conservation展に合わせてマイクロソフトのコンピュータ技術によって作成され、現在もシアトル美術館では大画面ディスプレイでズーム機能付きで見られるようになっているほか、ホームページで見られるようになっている。 再生画像は山種のものから始まって、シアトルのものまで見事に揃っている。新古今集からとられた和歌も日本語で細かく説明されており、変体仮名に慣れない人も十分に楽しめるようになっている。日本美術に対する尊敬の念が、このように米国のほうがはるかに優れていることを知って、感謝するとともに、過去の日本人コレクターの破廉恥な振る舞いをいまさらのようにさびしく感じた。 クリックしながら画像を見ていくと、現在の所蔵者は下記のような順番になっていることが分かる。今回は、このうちの5、7、9以外がすべて展覧されることになっているが、シアトル以外のものは展示期間が限られているのが残念である。 1.山種美術館また書かれている28首の和歌の読み出しは下記にメモしておく。 1.西行法師: こころなき身にも哀はしられけり 鴫たつ沢の秋の夕暮(山種)他の宝物については別報で書くこととする。 美術散歩 管理人 とら
名古屋ボストン美術館の同名展は出展数38点、油彩はボストン4点、ポーラ3点、その他の国内館各1点、合計13点という淋しいもので、目玉の《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》のみが光っていた。
近美のこの展覧会は目玉作品は同じであるが、内容ははるかに充実していた。ゴーギャンだけの個展をみたのは初めてのような気がするほど立派な展覧会となっていた。出品目録には全53点、油彩合計24点が載っているから、名古屋とはまったく異なる規模の展覧会である。章立ても、↓のように明快。 ![]() 1882年の《オスニー村の入口》↓は名古屋でも見たが、ピサロの影響を受けた印象派的な作品。 ![]() 興味をひいたのは、MOMAの《洗濯する女たち》↓。ゴッホの《アルルの跳ね橋》と似たモチーフであるが、構図はかなり違う。左下には二人の頭部だけが大きく描かれている。 ![]() ![]() ![]() ここでは、個人蔵の《パレットを持つ自画像》↓とシュトゥットガルト州立美術館の《エ・ハレ・オエ・ヒア(どこへ行くの?)》↓↓が印象的だった。後者は石膏像《オヴィリ》↓↓↓の基になっているとことだったが・・・。 ![]() ![]() ![]() 第3章 漂泊のさだめ: ここには《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》が展示されているが、その前室の壁面には説明動画があり、実際の展示室の壁には詳しいパネル表示がされていて親切だった。 肝心の《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》↓は、画のスグ前を移動しながら見る列と後から見る列に分かれていて、スムースに見ることができた。 名古屋では画を掛けた壁面が紫色であり、東京では内側が白・外側が黒となっていた。恐らくこのためか、名古屋で見た際には「青」が強調されていたが、東京では人体の「黄」が目立っていた。これには照明の影響があるかもしれないが、名古屋で感じられた「鬱」は東京ではそれほどは感じられなかった。自分としては名古屋の壁面や照明がこの画を描いた際の画家の心情に近いのではないかと思った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
7月31日(金)、珍しく涼しい日。東京のゴーギャン展に行くことにした。この展覧会は、わたしは名古屋ボストン美術館で観ているので、今回は家内も同行。
東京駅サピアタワー前から無料のバス↓が出ているというので乗ってみた。とても小さなマイクロバスで、たちまち一杯になってしまう。30分おきの発車間隔も長すぎる。運よく二人とも坐れたので文句をいう筋合いはないが、サービスとしては中途半端。 ![]() もちろん「ゴーギャン展」を先に観たのであるが、これについては後述することとして、まず3階の「戦争画」について触れる。 1.中村研一《北九州上空野辺軍曹機の体当りB-29二機を撃墜》: 晴れ渡る美しい空。錐揉みしながら墜落する米機。これに体当り攻撃した日本機。そして大空にはなお残る多数の米機。美しさと悲惨さが交じり合う印象深い画である。 ![]() 昭和19年8月20日、B-29約100機の大編隊と、我が戦闘機群との間で、凄烈を極める空中戦闘が展開された。 B-29は13機撃墜されたが、 そのうち3機は山田 守曹長(熊谷飛行学校)搭乗の「隼」機と、野邊重夫軍曹(少年飛行兵8期)と高木傳蔵兵長(少年飛行兵13期)の同乗する、二式復座戦闘機「屠龍」による壮絶なる体当たり攻撃による撃墜であった。特に野辺軍曹機は折尾上空で体当たり攻撃を敢行、誘爆で同時に2機のB-29を撃墜した。2.清水登之《工兵隊架橋作業》: この画↓については以前にも本ブログに書いている。この戦争画を描いた画家が戦死した長男《育夫像》(大川美術館蔵)のことも以前このHPに書いている。皮肉な運命の物語である。 ![]() 久し振りの再見である。この画↓はもっとも激しい藤田の戦争地獄絵の一つである。この悲惨なガダルカナルについてもHPに書いた。そういえば本年君代夫人も亡くなられたという。確実に時代は流れている。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
最近、青磁が気になっている。そのきっかけは台北で汝窯青磁、龍泉窯青磁、高麗青磁をまとめてみたことである。
そこで東博東洋館の青磁を見直し、ギャラリートークも聞いた。 その後も焼物の展覧会をみる機会↓があるたびに、青磁に注目してきた。 ・板谷波山をめぐる近代陶磁 @泉屋博古館分館 ・第3回菊池ビエンナーレ展 @菊池寛実記念 智美術館 ・日本の”美術”の愛し方 @徳川美術館 最近の「学士会会報No877(2009-Ⅳ)ー特集『芸術』」に、東洋陶磁美術館名誉館長兼学芸顧問である伊藤郁太郎氏の「中国宋代の青磁 雑考」掲載されていた。この論考をよむことによって自分の頭の中にかかっていた雲の一部が晴れたような気がしたので、そのメモをここに残しておきたい。 汝窯: 1.作品数が少ない。 2.宮中の禁焼とされてきた。 3.釉薬の中に瑪瑙の粉末を混ぜた。 4.清の乾隆帝すら、汝窯がいかなるものであるかつかんでいなかった。 5.1937年、英国のP・デヴィット卿が「汝窯考」という論文で汝窯の青磁を提示した。 6.P・デヴィッドも偽作をもとに「北宋官窯」で「汝窯」が生み出されたとの結論に達したが、この両者は別物である。 7.2000年になって初めて河南省の発掘調査で「汝窯遺跡」が発掘された。 8.結局「汝窯」は官窯ではなく、優秀品を貢納する民間の窯だった。 青磁の釉色: 1.汝窯: 天青色。失透性をもち、淡い空色を帯び、深く沈み込んでいくような神韻縹渺たる色。雨過天青の色。どちらかというとブルーイッシュ。↓は台北故宮の《北宋 汝窯 天青無文楕円水仙盆》 ![]() 3.耀州窯(5代): グリーニッシュ。 4.耀州窯(北宋代): オリーブ・グリーンで、グリーニッシュ。 5.中国と日本の研究者の色の表現が違うことに注意しなければならない。 まとめ: 五代北宋代の青磁のほとんどがグリーニッシュであったのに、ひとり孤高を守るように汝窯がブルーイッシュの青磁を生産したのかなどについてはいまだに謎に包まれている。古陶磁研究を志して半世紀以上経過した今なお、学ぶべきことあまりに多く、日暮れて道遠しの感を深くするのである。 附記: 2009/12/5-2010/3/28 大阪東洋当陶磁美術館で「河南省文物考古研究所出品ー北宋汝窯青磁―考古発掘成果展」が開かれる予定であるとのことである。 美術散歩 管理人 とら
最近、青磁が気になっている。台北で汝窯青磁、龍泉窯青磁、高麗青磁をまとめてみたためである。そこで東博東洋館の青磁を見直した。
東博では、ちょうど青磁のギャラリー・トークがあった。内容は「青磁の誕生」である。聴衆のほうにレベルの高い中高年の方が多く、若い女性説明員はたじたじでだったが、わたし自身はとても勉強になったので、ここにメモとしてまとめておきたい。 1.中国の青磁と日本とのかかわり ○平安―鎌倉時代: 雑器から高級品にいたるさまざまな手の青磁が日本に将来している。鎌倉時代になると龍泉窯青磁もはいっているが、その前の平安時代には越窯青磁が博多に入ってきている。現在平和台球場の跡地となっている鴻臚館で焼物の選別が行われ、京都や奈良に送られている。 ○室町―江戸時代: 「唐物賞玩」が流行したがこれらは龍泉窯青磁であり、日本では透明度が高く少し緑がかった「砧青磁」の格式が高いものとされており、東博には有名な馬蝗絆がある。「砧青磁」の他に「天竜寺青磁」や「七官青磁」もある。 ○19世紀末―20世紀初頭: 遺跡探査の流行と1912年の中国清朝の崩壊により、日本でも美術品の売りたてが盛んになった。例えば、東博にある横河コレクションの青磁鉢(南宋官窯)は、金沢の美術倶楽部に出てきたものである。 2.青磁のはじまり-越窯を中心にして ○越窯について: 現在の浙江省北部、銭塘江に面した地域を中心に生産された。南の温暖な気候や自然に恵まれた地域で、都が遠くないため生産、流通に適した地域でもある。灰を主成分にした釉を使い、高温焼成により丈夫で美しい青磁ができてきた。 ○「古越州」・「古越磁」: 生産が開始されたのは後漢時代(2世紀頃)の龍窯であると考えられているが、三国・呉・晋時代(3-4世紀)なると南京周辺から多数出土している。動物の形をした器形や神亭壷が特徴的で、オリーブグリーン(濁った灰色)である。この色を見ると「青」磁とはとてもいいにくいが、その後青磁に発展していくプロトタイプとしてとらえられている。 ○唐時代(8-9世紀): 越窯青磁の隆盛期で実用品や輸出品として多量に生産されたが、東博には所蔵品が乏しい。質の良いものは「秘色」といわれ王の墓にも埋められた。浙江省の法門寺塔地宮からこのような越窯秘色青磁が発見されている。↓は台北故宮の《五代 越窯 秘色青磁洗》であるが、法門寺塔地宮の瓷秘色はヨモギ色とのことであるから同じ色とは思えない。講師の方も法門寺塔地宮の瓷秘色を見たことがないというのだからいたし方ない。 ![]() ○北宋時代(11-12世紀初頭): 北方青磁の隆盛期であるが、河南省の汝窯においては官窯青磁が生産されていた可能性もある。このころには越窯は終焉をむかえる。 ○南宋時代(12-13世紀): 臨安(杭州)において官窯青磁が生産され、一方龍泉窯が台頭してくる。 美術散歩 管理人 とら
この展覧会の副題は、「日本メキシコ交流400周年記念」、「太陽と革命の画家たち、限りない祖国への情熱」。
![]() まず最初に出てくるのは、ポスターの画となっているはフリーダ・カーロの《メダリオンをつけた自画像》↓ これが掛っている壁面はこれ一枚だけ。背景に世田谷美術館の美しい庭がこの画を取り巻いている。 ![]() フリーダ・カーロは交通事故で重傷を負い、リベラと2度結婚した際にも、結婚衣装を着ることがなかったというが、この画はカーロの母親の故郷オアハカ州テワナの伝統的なウィピル(貫頭衣)を身につけている。鳩のメダリオンを着けた衣裳の中のカーロの眼には大きな三つの涙が見られる。身体的な不幸、繰り返す手術、そしてリベラの浮気などの象徴だとすれば、あまりに悲しい自画像である。この画は本邦初公開ということだが、これを近くで見るだけでも価値がある。 同じ女性画家マリア・イスキエルドの作品は3点出ていたが、《マリア・アスンソロの肖像》↓はタマヨと一時同棲したこともある女性の肖像画である。 ![]() 同じ画家の《巻貝》は、新象徴主義、魔術的絵画とされていたが、三岸好太郎の貝の画とソックリのような気がした。 壁画3大巨匠の一人、ホセ・クレメンテ・オロスコは6点も出ていたが、その中では《十字架を自らの手で壊すキリスト》が迫力があった。彼は左手先がなく、左目・左耳の機能もなかったそうだが、良くこのような画を描くことができたものである。 もう一人の壁画3大巨匠ダヴィッド・アルファロ・シケイロスの作品は4点あったが、アステカ帝国最後の王《クアテモックへの賛歌》や《5月1日[メイデイ」の行進》が印象的だった。 最後の壁画3大巨匠ディエゴ・リベラの作品は5点。いずれも良かったが、その中では《夜の風景》↓が面白かった。地主の祝宴を木に登って眺めているのだろうか。シュールな絵画に対するメキシコ的な揶揄が表れているそうである。 ![]() ルフィーノ・タマヨは先住民族サポテカ人であるが、3点のうち《自画像》の青が美しかった。 北川民次の《花》は印象に残ったが、村田の抽象画はピンとこなかった。 展覧会は「文明の受容」「文化の発信」「進歩」の3つの章で構成されていたが、リストと合わないので見にくくかった。 また、今回は名古屋市美術館のホセ・グァダルーペ・ポサダの作品も展示されていたが、これは面白かった。19世紀末から20世紀初頭にかけて、様々な出来事を骸骨(カラベラ)に演じさせ世相を風刺した版画であった。 美術散歩 管理人 とら
展覧会の副題は「日本・ギリシャ修好110周年記念特別展」と「ギリシャに眠る日本美術~マノスコレクションより」の二つ。後者はギリシャの外交官グレゴリオス・マノス(1850-1928)が集めたアジア美術コレクション。それを収蔵しているコルフ島のギリシャ国立コルフ・アジア美術館に眠っていた写楽の肉筆画が2008年7月に発見され、わずか1年で東京で見ることができるのは幸運である。
最初に博物館の学芸員の我妻直美さんより30分のレクチャーを受け、その後仲間のブロガーと一緒に自由鑑賞。初日から結構の人の入りである。 第一章 日本絵画 ・狩野克信・興信《狩野探幽筆 野馬図屏風模本》↓・・・江戸城本丸御殿にあった狩野探幽の馬と水牛の屏風を模したもの。粉本主義の狩野派ならではの作品である。 ![]() ![]() ![]() ![]() 第三章 中期版画 ・鈴木春信《見立菊慈童》・・・いよいよ錦絵登場。扇面や短冊模様絵を散らした振袖の意匠が文学的である。ピンクの菊には空摺されていることが見てとれる。 ・鈴木春重(司馬江漢)《碁》・・・極端な遠近法で描かれたシュールな建物。向かい合う男女が碁盤の角に座しているのが一興。畳の明るい緑が美しい。 ![]() ・喜多川歌麿《歌撰恋之部 深く忍恋》↓・・・背景の紅雲母が素晴らしい。紫の色彩も鮮やかである。歌麿の大首絵の代表作にこのように素晴らしい紫色が残っていることに感謝! ![]() ・東洲斎写楽《四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪》↓・・・今回の「幻の肉筆画」。迫力ある役者大首絵と対照的な細い輪郭線でデリケートな色。扇として使われていたようで、剥がした跡がある。竹紙に描かれているため、細かな線が見え、角度を変えると金色に近く見える。四代目というのは五代目の誤りで、後世書かれたもの。類似の扇面図が三重県津市の「石水博物館」にあるとのことで、会場にパネル表示されていた。これは扇面のままであるが、これも写楽の作品なのだろうか。数年後にはわれわれの眼にも触れるとのことである。 ![]() ・魚屋北渓《扇絵より立ち昇る龍》↓・・・御殿女中が描いた龍が扇から抜け出て天に立ち上る。箱には金が、着物には銀が載せてある。 ![]() ・歌川国芳「汐干五番内 其三↓、四、五」。波や着物の描線に銀が載せられており、輝いている。 ![]() ・歌川豊国《新吉原桜之景色 五枚つゞき」》・・・大門内の桜並木と、下の道をその周りを行き交う人々と上から見下ろす客の華やかな景色。 ・菊川英山《風流夕涼三美人》↓・・・生活感の溢れる影絵。 ![]() ![]() 近年、国外から保存状態の良い浮世絵が押し寄せてきているので、それと対抗するのはなかなか難しい。目玉の写楽を加えて技あり合わせて一本の展覧会というべきなのだろう。 むしろフランス、イギリス、アメリカ、ベルギー、オランダ以外にもこのように浮世絵が保存されていたことに驚き、先見の明があったグレゴリオス・マノスに感謝したい。 美術散歩 管理人 とら
ちょっと時間があったので、東博本館を覗いてみた。
1.浮世絵室: 肉筆画では有名な西川祐信《柱時計美人図》↓。単眼鏡で覗くと針は亥の刻を示している。そろそろ寝る時間である。まだ現れぬ男を待っているのか、娘が時計の針を戻している。デートに遅れる男は最低! 喜多川歌麿の3枚続《大木の下の雨宿り》も面白かった。梅雨の季節に合わせて登場しているのだろう。 ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
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